「本当にアホらしい、どいつもこいつもクソだ」
17歳の俺はそう吐き捨てるように頭の中で叫んだ。あくまで頭の中で。手には「公団住宅抽選受付中!」と書かれたハガキ。別に公団のバイトだったわけじゃない。公団の抽選に私達が代わりに申し込みましょう、だから手数料ください、っていう業者のハガキだ。だがそんなの関係ない。内容の事なんて知ったこっちゃないんだ。とにかく「公団の抽選ハガキお渡ししてまーす」って言いながら、道行く人にハガキを渡す、その作業が今日のバイトだ。
おばちゃんにハガキを渡した。「でもこれに応募しても別に当たるわけじゃないんでしょう?」ごもっともな意見だ。だけど俺はどうなってるかなんて知らない。公団ってそもそも何だ。団地だったら知ってるけども。
小一時間もすると、「リーダー」と呼ばれるいけ好かない感じの青年がやってきた。「林くん、だっけ?さっきから効率悪いよ。もっと積極的に行かなきゃ、さあ」でも別にそんなに消極的な態度でやってたわけじゃない。「向こうでやってる奴なんて、もう箱半分終わってるよ」そりゃそうだろう、向こうは駅前の人通りが頻繁なところだ。こっちはそれこそ、渡したおばちゃんと会話しても1人2人通り過ぎるか過ぎないか、とにかく人通りがないのだ。その後、様々なバイトを通過して分かったことなんだけど、その日によってメンツが変わるバイトのリーダーっていうのは、最初に高圧的な態度で何か言っておけばその日はどうにか通過出来ると思っているアホが多いんだ。「とにかくさ、この箱終わらないと仕事終わらないんだから、ちゃんとやってよ」「はい」、と小さな声で答えてまた「公団の抽選ハガキお渡ししてまーす」に戻った。
どうにかこうにか夕方までかかって、箱ひとつ配り終えた。「終わりました」ブラブラと歩いてきた「リーダー」に言うと「本当?捨てたりしてない?」どこまでも頭の悪いやつだ。きっと友達もいないだろう。っていうかリーダー、いい仕事だな。
まだ携帯電話もなく、アルバイト誌「フロムA」が凄い厚さだった頃のバイト。いくらもらったかは覚えてないし、何に使ったのかも覚えてないけど、ハガキがうずたかく積まれた汚い事務所に今でいう「とっぱらい」みたいにその日の給料を取りに行った気がするから、当時で言えばそれなりにいい額だったんだと思う。2度とその事務所には行かなかった。
1番続いたのは、地元のケーキ屋兼喫茶店だった。今思えば、それなりに妙齢の女の人とかも一緒に働いていて、居心地が良かったんだと思う。高校を出てからも少しそのバイトを続けていたぐらいだ。CDプレイヤーがあって、店長はFMラジオをかけておけと言っていたけど、俺とバイト仲間は自分の好きなCDを持ち寄ったりしてガンガンかけていた。ビートルズ、ストーンズ、メタル、パンク。当時出たばっかりのエレファントカシマシ「生活」とか。ある日、「生活」をかけていたら中年のおばさん2人が「音楽が大きいのでボリュームを下げろ」と言ってきた。あ、はーい、と生返事をしてスライド式のボリュームをチョンと撫でた。はい下げた。下げただろ?おばさん達は顔をしかめながら、でも話し続けている。会話出来るじゃん、大丈夫大丈夫。丸々「生活」を最後まで聴いて、おばさん達は店を出て行った。
入った当初は妙齢の女の人が数名、あと昔メタルバンドでギターを弾いていたお兄さんが調理、という布陣だったけど、いつの間にか自分が1番年齢も高くなり、女子高生のバイトの子とか、あまり歳の変わらない奴とかが入ってきて、ちょっと青春物語みたいな事もあったり、とにかくケーキ屋は長く続いた。
ジーンズ屋、引っ越し、居酒屋の掃除、コンビニ、そして2番目に続いた楽器屋の店員、様々なバイトを渡り歩いて20代後半、バンド活動を止めてフリーペーパーJUICEの編集部に入ってもまだバイトしていた。1番最後に続いていたバイトは、横浜、いや日本有数のゲットー近くのスタンドだった。しょうちゅう救急車がサイレンも鳴らさずにきては、静かに走り去っていった。ここの話はまた思い出したら。
バンドを止める少し前、知り合いの紹介で個人経営のカラオケ屋のバイトをしていた。朝行ってお店を開けて、夜勤の引き継ぎが来るまで1人。昼間は1時間1000円の料金で、おばちゃんが寄り合いで使ったり、近所の高校生カップルがラブホテル代わりに使ったりするようなカラオケ屋だった。夜勤の人はDJをしていると言っていたけど、どんな音楽をかけるんですか、って興味本位で聞いた自分が後悔するぐらいチンプンカンプンなアーティストを挙げていた。元町で回していると言っていたので、たぶんヒップホップの人だったんだけど。そこの店長が、例の「リーダー」みたいな、高圧的な態度で何か言っておけばこっちが言う事を聞くと思っているタイプの人間だった。ある日、ブランキージェットシティーのライブに行く事になった。しかし、その日はカラオケ屋のバイトの曜日で、休みを取らなくてはいけない。どうやら店長に取っては、曜日ごとに決められたシフトが崩れるのが鬼のようにイヤなことだったらしい。激しい口論になった。「そんな責任感ない事でいいの?」「どういう人生?そんなんで社会でやってけれるの?」甲高い声でまくしたてる店長。「株式会社○○興産ナメるなよ?」え、何言ってんのこの人。親会社がそんな名前だったなんて今知ったよ。そして決定打の一言が甲高い声で放たれた。「だったらやってるバンドも責任感ないんじゃないの?売れないよそんなバンド」瞬間に自分の顔が変わったのが自分でも分かったし、店長もバカなりにマズい琴線に触れてしまった事に気がついたようだった。「こんなバイトはいくらでもあるけど、ブランキーのライブはこの日しかないので今日限り辞めます」静かに言って、上着を着て無言になっている店長のそばを抜けて出口に向かった。もちろん、追いかけてはこなかったし、俺もそのバイトに行く事もなかった。
ちょっと前に、たまたま人を送った帰りに付近を通りがかった。車の中からチラッと見ると、深夜にも関わらず煌々と灯りが点いていたので、たぶんまだカラオケ屋として営業しているんだろう。あの時、出て行ってお互い良かったですね、と顔も見たくない店長を思い出しながら思った。