勝ち惜しみと日本サッカー
「自分の勝ちや成功を素直に認めないで強情を張ること」
負け惜しみならぬ、「勝ち惜しみ」が溢れかえってる面白い状況である。
日本サッカーは進歩した。サッカー先進国に比して「経験が足りない」なんて言われ続けていたが、経験ってこういうことなんだなと。
テレビ解説で出てくるラモスや木村和司なんて「負けたこと」で未だにサッカー業界の人だが、それ以降に出てきたワールドカップで実績を積んできた監督・選手に比べて、説得力がない。ラモス・木村の解説者としての力量も低いと思うが。やはり勝った経験、勝つためのプロセスを経験をしていない人である。
美しく負けるサッカーでお馴染み、バルセロナ哲学が大好きな日本人。2010年前後。バルセロナはモウリーニョのインテルやレアル・マドリーのカウンターサッカーに負けると「アンチ・フットボール」だなんて、当時の中心選手Xavi Hernandezを中心に負け惜しみを連発していたものだが、一方のモウリーニョは勝ち惜しみなんて言ってなかった。素直に自分たちの強さを認めていた。戦術による勝利だと。
西野監督もモウリーニョと同じ態度で臨めば良い。一方、負け惜しみを言うのもサッカー業界では普通である。超一流選手でも言うんだから、外野なんて関係ない。ましてやあの試合でがっかりして「もう日本代表を応援しない」とか言っている連中なんて、ほっときゃいい。
日本文化の総体を代表するサッカーチームが「日本代表」であるなら、サッカー文化の総体と折り合いをつけるなんて、簡単じゃない。現在の日本代表選手は自分たちがプロサッカー選手であることと日本を代表していることとの折り合いをつけようと、今はとにかく勝つことがその一歩なんだと信じてやっているんだと思うし、そう信じたい。これはとても美しく尊い姿ではないか。
今後、どうなっていくか楽しみ。