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コンフリクト(葛藤・対立)プロセスに関わる想い②

前回の記事では、私なりの一つの人間観「誰しも、大切な存在に幸せであって欲しいと願う」について書きました。でも、その願いにつながれないこともありますよね。その典型的な状況がコンフリクト(葛藤・対立)です。

今回は、コンフリクトとは何か、その痛みや可能性という側面に触れていきたいと思います。ご関心を持っていただけたら是非お付き合いください。


(1)コンフリクトとは何か(辞書的説明)

「コンフリクト」とは、一言で言えば「葛藤・対立」のこと。辞書をいくつか見ると、大体下記のようなことが書かれています。

ラテン語の「confligere」に由来し、「con(一緒に)」と「fligere(打つ、叩く)」が組み合わさったもので、直訳すると共に打ち合う、衝突するを意味する。当時、ラテン語では戦争や争いなど物理的な衝突に使われていたが、徐々に心理的・社会的な対立にも使用される概念となった。

コンフリクトは関係性に生じます。家族や特定のグループ間など「人と人」はイメージしやすいでしょうし、人の中の多様な側面/多様な部分の間でも生じます。また、人と他の生命/存在との間も扱えるではないかと考えています。

*「コンフリクトとは何か」についての異なる、そして重要な定義は次の記事で試みたいと思っています。

私自身、そして恐らく皆さんも、これまで直接・間接的に多くのコンフリクトを経験してきているはずです。私で言えば、ある素晴らしい理念のもとスタートした新学校、ある急成長ベンチャー、ある大企業の部門、ある教育系NPO、ある友人家族など、数多く挙げることができそうです。

(2)コンフリクトから生じる痛み

「間違っているのはあっちだ!」
「あの人の言動は許せない!」
「あの部署はいつも要求ばかり!」
「自分ができない人で申し訳ない…」

企業でも、NPOでも、家族でも、元々は良い意図をもって集まったはず。企業で言えば、パーパス、ビジョン、ミッション、バリューといった理念を始めとする旗の下に、一人ではできない何かを共に味わい、力を合わせて実現するために互いは存在するはずです。まさに「同じ船に乗る」「共に生きる」ということです。

それにも関わらず、集団の中でいつしか他責・自責の意識やすれ違い、違和感が蓄積していく。その状況への対応として、力による解決、調停・交渉、時にはコンフリクト自体が無視・軽視されることもあるでしょう。もはや「目の前の相手が幸せであることを願う」という起点と行為は空虚な理想論にもうつります。そして、この帰結として多くの場合、勝ち負け、妥協、停滞感/行き詰まりにいきつきます。

(3)コンフリクトは進化や変容の入り口

ここで着目したいのは、コンフリクトに集まるエネルギーです。コンフリクトを扱う場には、怒り、悲しみ、諦めなどの強い感情が持ち込まれ、またその奥にはその人にとっての大切なこと、まだ拓かれていない可能性が存在します。

個人でも、集団のレベルにおいても、コンフリクトの状況は新しいものに拓かれようとしている段階とみることができるのです。弁証法的な見方として、下記のようなことも言われています。

創発の理論は、当然、進化の理論であるが、ダーウィン的進化論ではなく、弁証法的な理論である。進化するパターンは、対立するアイデアが変化を示す中に出現する。正反対のものが対立する緊張状態がなくては、社会は発展しないのである。複雑系科学の洞察が明確に示しているのは、システムのパターンはエージェントが互いに異なる場合にのみ進化する、つまり、違いと葛藤がなければ、変化は起こり得ないということだ。

ジャルヴァース・R・ブッシュ著『対話型組織開発』(英治出版)

ただ個人的には「進化・変容を目的としてコンフリクトに向き合うこと」には違和感があります。また、他のゴール・目標が目的として先にあり、コンフリクトに向き合うという手段をとることも同様です。

*ここで私の自己矛盾も白状します。私は「誰しもが、大切な存在に幸せであって欲しいと願う」ということが広がって欲しいと思っていて、コンフリクトに向き合う中で現れる傾向があると認識しています。自分のエゴを満たすために、コンフリクトの渦中にいる人の痛みや願い、その人にとっての大切なことがないがしろにされてはたまったものではありません。強いベクトルを持ち、表現していくことの難しさを感じます。

(4)コンフリクトの「結果」ではなく「プロセス」を転換する

コンフリクトに関しては、結果ではなくプロセスが重要だと考えています。つまり「コンフリクトを経てどんな結果・結論に至ったか」よりも、「コンフリクトに向き合う過程で何が起こり、何が体験されたか」ということに着目することです。

ただ厳密にいえば、結果も大切です。でも、望ましい結果を最初から、特定の人・立場から設定することはできず、適切なプロセスを経ることで、コンフリクトに関わる全員で求めていた結果が分かってくる/生まれてくる、と考えています。

例えば、会社での退職、家族での離婚などを最初から望ましい結果と設定する人は少ないかもしれませんが、コンフリクトに向き合うプロセスの中で、関係者全員が心から納得した形、最善の道としてその選択が迎えられるといったこともありました。

最近特に感じるのは、結果はコントロールする/できるものではなく、大きな自然の流れに従う、現われようとしているもの、次の進化・変容の形を迎え入れる、そんな感覚に近いと思います。

*個人的に「Conflict Management」という言葉自体にフィット感が少ないと感じたり、最近では海外で「Conflict Resolution」ではなく「Conflict Transfomation」が使われることがあると聞いたことがあるのですが、上記と関連があるのかもしれません。今後学びを深めたいと思います。

(5)次の記事への接続:コンフリクトのプロセスに関わるポイント

さて、ここまで来たところで、「じゃあ、コンフリクトのプロセスをどう転換すればいいの?どんなことが大切なの?」という問いが浮かんでいらっしゃるかもしれません。それを次の記事(シリーズ最終回)でご紹介したいと思います。


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