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如意宝珠のこと2

前回から、如意宝珠についてお話ししています。
如意宝珠とは、「思うままに願いが叶う珠」というものですが、しばしば、仏法、真理の象徴として扱われてきました。

それでは、如意宝珠はどのようなものなのか?
とい言いますと、『大智度論』などには、龍の体内にあること、という説に並んで、仏舎利(仏陀の遺骨)が宝珠に変化し、人々を助ける、とあるのです。

こうして、仏舎利と如意宝珠の信仰がつながってくるのです。
実は、仏舎利と如意宝珠は同体というのは、日本でも盛んに説かれていた説なのですが、それは単に日本のみの信仰ではない、ということがわかると思います。


さて、仏舎利、歴史的に言えば、ゴータマブッダの遺骨。
それは、仏教徒にとっての信仰対象です。

それも、単に仏陀の遺徳を偲ぶ、というのみにとどまりませんでした。
たとえば『大般涅槃経』には、仏陀の舎利を護るクシナーラーのマッラ族とそこにやってきた7部族との間で、争いが起こった事が見られます。

つまり、最初期から仏舎利は、大きな力を持った存在として、受け止められていた、のです。


そして、もう少し象徴的な意味合いとしては、
ブッダは肉体を滅して完全な悟りに入られた(般涅槃)。
肉体が火葬され、残ったものが遺骨。

つまり、肉体を離れて残る仏法・真理、というものの象徴としても仏舎利は見られるのです。

これは、仏舎利を塔に納めて信仰される、仏塔信仰。
後には、仏舎利の代わりに、同じく仏法・真理を表現する経典が納められるようになる、ことからも類推する事ができるのではないでしょうか。

そして、ここまで読んでこられた方なら、仏舎利と如意宝珠、その象徴するものが同じく「仏法・真理」であることに気がつかれたのではないでしょうか。


次回は、龍について書いていきたいと思います。

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