第四十二回小説推理新人賞の反省
※この記事は2019/12/1にはてなブログに投稿したものを最低限の手入れだけして移植したものです。
第42回小説推理新人賞に応募しました。
(https://www.futabasha.co.jp/news/suiri_award/index.html)
結果は待つしかないし運も大きいと思っているので、反省点だけ書いたらひとまず存在を忘れます。
今回はあまりにもやらかしが多すぎました。
基本的に自傷なのでお通夜テンションで書いていきます。
■適当に作っていいキャラなんていない
キャラクターの価値観は作りながら固まっていく部分も確実にあるので、すべて決めておく必要はないと思っています。
ただ、今回はあまりにも雑な状態からスタートしてしまいました。
結果的に手直しが膨大に発生し、締切間近に絶望する羽目になりました。
少しだけ言い訳をすると、メインとなる二人についてはそれなりに価値観を固められていたように思います。
なぜかというと、オチやクライマックスに取らせる行動が先に決まっており、それに合わせて作ったからです。
そのため彼女たちについては最後まで大きなテコ入れをせずに済みました。
そういう意味では、トリックや構成上の見せ場を先に考え、それを最大化できるキャラクター(あるいは価値観)を用意しておくという方法はそれなりに有効だったように思います。
ただ、脇役(被害者役)の価値観や設定を固めていなかったのは最悪。
これが今回の最大のやらかしです。
懺悔すると「殺されるキャラクターなのだからそこまで作り込まなくてもいいか」と思っていました。
昔から、ミステリを書くときにキャラクターを舞台装置として見てしまう悪癖はあったんですが、それが致命傷になってしまいました。
その一人だけがストーリーに都合の良いように動くキャラクター(=人間として不自然な挙動をするキャラクター)になってしまい、物語全体のリアリティを削いでしまいました。
適当に作っていいキャラなんていない。そんなことをしたら絶対にそのツケは回ってくる。
それが今回得た教訓です。
対策として、キャラクターを深堀りするためのテンプレートプロット(?)を考えてみようかと思っています。
たとえば、「朝起きて・なに食べて・仕事か学校に向かって・道端で猫に出会って・目的地に到着する」みたいなマイルストーンを定め、それらを通過する短編をキャラクターごとに書いてしまうというイメージ。
何時に起きるのか、猫と出会ったときにどういうリアクションをするのか、などの違いによって各々の価値観を理解していくのが狙い。芦沢央先生が似たようなことをしているらしいので、それに倣おうという魂胆です。
ただ、価値観が表出しやすい場面選定がそもそも難しそうなので、長い目で整備していこうと思います。
■説明したがりサムライを殺す
文章力の問題。
僕の心にはサムライが潜んでいるようです。
つまり「追従する」とか「判然としない」などの無駄にお堅い単語を無意識にチョイスしてしまうということなんですが、それ自体が問題というよりは、その使いどころを考えられていなかったのが問題だと思っています。
今回は女子大生の一人称視点だったのに、お堅い言葉を多用してしまいました。
ある程度の緊迫感を出すために柔らかい言葉を排除することも必要ではあるんですが、その塩梅が下手すぎました。
ただ、今回でサムライが出やすいという自覚ができたので、今後は必要に応じて意識的に抑える努力はできそうです。
キャラクターと文体を調和させるという技術がまだまだ足りていないと痛感しました。ここもリアリティに直結するポイントなので、胸に刻んでおきます。
文章力についてもうひとつ。
言わんでもわかることを書きすぎました。
「これって伝わるかな?」という文章力への自信のなさがそうさせたのだと思います。
説明はスリルを削ぐということすら理解していなかったし、特に緊迫感を出したい領域でそれをやってしまっていたあたり、下手くそだなあと猛省しています。
引き算しないと文章はうまくなれないんだな、と痛感しました。
まとめると、説明したがりサムライを殺せということになります。
■アイデアの精査をしてなかった
伊豆文学賞の反省のときに少し書きましたが、シチュエーション先行での発想法自体は悪くなかったように思います。
ただ、それを話として成立させるために必要な要素を考えられていませんでした。
思いついてテンション上がってそのまま勢いで書き始めてしまったのが直接の原因だと思います。
アクロバットやるならそれ以外でリアリティを突き詰めるべきなのに、それを理解していませんでした。
設定や見せ場となるシチュエーションそのものが偶然に頼りすぎていました。
ひとつまでだったら偶然に頼ってもいいかもしれないけど、それをするなら他を固めておかないと説得力がなくなります。
リアリティという固い地盤の上でないと曲芸はできない。そんなイメージです。
■結局、リアリティを高めるにはどうすればいいの?
今回ぶつかった問題を大きく括ると、リアリティの欠如です。
じゃあそれってどうすれば改善できるの?をまとめます。
シンプルだけど、下記の観点でセルフチェックしていくしかないと思っています。
【心理のリアリティ】
人間心理として不自然でないか?ストーリーのために都合よく動かしていないか?
【文体のリアリティ】
キャラクターと文体が剥離していないか?
【設定のリアリティ】
舞台やシチュエーションに無理がないか?
実際はもっとあると思います。
ただ、リアリティばかりを気にしてしまうと大胆な発想も出にくくなるかもしれないので、尖ったワンアイデアをリアリティで支えるといったスタンスでいこうと、今のところは思っています。
■エンタメ作品にもメッセージは必要
ここからはメタ寄りの話。
今回、モチーフらしいモチーフを作品に落とし込みませんでした。
メッセージ性よりも話としての面白さ(エンタメ性)を重視したからです。
つまり、エンタメ作品においてメッセージ性は重要でないと思っていたわけなんですが、終わってみれば、その発想自体が微妙でした。
単純に書きにくい(軸がなくてふらふらする)という感覚もあったし、そもそも本当にエンタメに振りきるつもりならデフォルメして人間らしさを排除したキャラクターを採用するべきだったと思います。
人の心の暗部を書くのが好き(というかそこ書いてナンボみたいなスタンス)だし、その点はたぶん変わらないので、今後はどんな作品を書くにしてもテーマ/モチーフ/メッセージに類する部分は考慮すると思います。
それに、モチーフがないとタイトル決めるときに困るんですよね。地味に大変だったのを覚えています。
■自分の強みってなんだ?
正直なんもわからん。
ただ、やっぱり人間を書くことにはこだわりたいです。
人間を描くとは、つまりデフォルメせず繊細に、人の持つ多面性を描くという意味ですが、多面性を書くことはこれまでも意識してきたつもりなので、引き続き追究していこうと思います。
それが時代に合っているのか?という懸念はあるけれど、そこは結果に語ってもらうしかないと思っています。
加えて、ひとつの嘘のために他のリアリティを徹底的に高めるということは目指せる気がしています。
今回は大惨事だったけど、頭と体で理解できたぶん、指標としてはわかりやすくていいな、と。
敬愛している島田荘司先生もそのスタイルなんじゃないかと、この反省文を書きながら気付いたりもしました。
リアリティを高めるためには、前述したセルフチェックに加え、知識も不可欠になってきます。
正確で緻密な知識はリアリティのベースになる。ここもサボっちゃいけないですね。
というか、ググったり勉強したりすればいいだけなのでコスパが良い。やらない手はないように思います。あとは行動を癖付けするだけ。
それに、リアリティを高めるだけでなく、他人が知らないことを書けるのはそれだけで武器になりますよね。
単純に面白さにもつながっていくから、やっぱり知識って大事です。
■査読の返事見るのめっちゃ怖い
今回も信頼できる友人たちに査読をお願いしました。
(お願いしてない人は信頼していない、とかそういうことではないのであしからず)
ここまで書いてきたことも、協力してくださった方々の力がなければ自覚もできていなかったと思います。
個別にお礼も伝えましたが、改めてありがとうございました。
ただ、お願いしといてアレだけど、返事を開く瞬間がめちゃくちゃ怖くていちいち一呼吸置いてしまう癖は直せそうにないです。
■総括
正直、査読をお願いするまでは「なかなか良いの書けたのでは?やればできるじゃん?」と勘違いしていました。いま思うと本当に恥ずかしい。
調子に乗りかけてたところをバキバキに折ってもらえてよかったです。
送った作品の出来については、正直言ってあまり自信がありません。
度重なる大手術によってどこかに縫合痕が残っている気がしてなりません。(それに気付きたくなくて読み返せない)
ただ、経験値はめちゃくちゃ得られました。
メタルキング倒したくらいの手ごたえはあります。
自分がどこを客観視できてないとか、結局なにが書きたいのとか、これからなにをしなきゃいけないのとか。
そういうことが多少は理解できたので、書いてよかったと心から思います。
次に書くものはだいたい決まっているので、また同じやらかしをしないように気を付けます。