逸木裕『五つの季節に探偵は』感想
探偵・榊原みどりの探偵半生を追うようなかたちで構成された短編集。みどりが探偵を志したきっかけの事件から始まり、調査会社サカキ・エージェンシーの課長として活躍するに至るまでの時間軸で各話が展開される。
著者である逸木裕さんのインタビュー記事で「今回はミステリとしての色味を強くした」といった旨が語られていたけれど、たしかに全話共通してミステリとしての仕掛けに力が入っていたように思う。ただ、そのコンセプトを維持する一方で、人の弱さに寄り添う(良い意味での)目線の低さや社会のいびつさに切り込む鋭い眼差しが織り込まれていて、とても逸木さんらしい。著者初読の方にもおすすめできるし、ファンとしての満足度も高い作品集だった。
以下、各話感想。
ネタバレありなのでくれぐれもご注意を。
『イミテーション・ガールズ』
みどりが最初に手掛けた事件。依頼主は同級生の怜。怜はクラスメートの好美からいじめられており、好美が好意を寄せている教師・清田の弱みを握ることで、間接的に自分へのいじめ行為を止めさせるように目論んでいた。しかしそれは偽りで……
印象に残ったのは、終盤、善意が本物か偽物かの問答がおこなわれたシーン。「人助けをする気持ちは本物だよね。だったら身代わりになってよ」という怜の身勝手な要求。それに対し、「好美の指紋がついたペットボトルに灯油入れてきたからこれで某氏の家を燃やせ(意訳)」とみどりは切り返す。放火を仄めかしていた怜に「その悪意は本物だよね?」と追い詰めるやり口はやや性格が悪いながらも痛快だった。実際それはちょっとした意趣返しにとどまり、その後で別の解決策を提示した。好美含む他多数の少女らは実は某氏に弱みを握られていて、それを開示するために徒党を組もうという提案。事態としては好転の兆しを見せて終幕。調査は楽しかったという熱中を得て、探偵としてのみどりが立体になっていく。始まりの物語としての説得力に不足はないと感じた。
『龍の残り香』
好きな話だった。まず驚かされたのは香料の世界の奥深さ。そもそも香道という存在すら知らなかったし、それを職業としている人たちなんて自分の人生の死角だった。こういう新しい出会いや発見が小説を読む面白さのひとつだと思う。この話のキーである『龍涎香(りゅうぜんこう)』にも心惹かれた。マッコウクジラが極稀に吐き出す結石。希少性が高く、値打ちもある。大変なロマンを感じる一品。個人的に、生き物が絡むものに弱い。
話としては香道の先生・君島が生徒の龍涎香を盗んでしまった、という話。事件のあらまし自体は早々に看破されていたが、クライマックスでは君島にまつわるある真相が明らかになる。この真相自体にも驚きがあったけど、最初に君島が龍涎香を手に取ったときに過去への回想シーンに飛んでいた構成自体が伏線だったことにも驚いた。「嗅ぎながら回想する」という見せ方に意味があることが後になってわかる。構成に必然性があって美しいと思った。話の結末としてはほろ苦く、身勝手に真相を暴いたみどりに友情の崩壊が訪れる。みどりに同情の念は湧かなかった。
『解錠の音が』
ストーカー被害の相談を持ちかけてきた依頼人・満。犯人の目星はついており、金目当てで言い寄ってきた女・真美が犯人で間違いないと彼は語る。しかし調査を進めると真美は夜の世界から足を洗い、自分の目標に向けて堅実に努力している人だとわかる。また、嫌がらせとして報告されていた内容も、自転車のワイヤーロックを外されて、同じ駐輪場の別の場所に移した上で両輪をパンクさせるだけという中途半端で不可解な手法だった。セキュリティ意識に警鐘を鳴らす姿勢は、ITのバックグラウンドを持つ逸木さんらしく、社会派ミステリとしての一面も感じた。タイトルを回収するオチも好きで、構成にも新鮮さを感じた。ただ、この話を通してみどりに対する印象は悪くなった。他人が心配しているのに無鉄砲な振る舞いを正さず、権力を利用して強引に調査を進めるスタンスには清らかさを感じない。子どものいる母がそんな無茶をするだろうか、とも思ったし、社会的な強者だからこそできる振るまいがあまり好きになれなかった。とはいえ、このあたりの印象は最後の収録作を経て色を変える。
『スケーターズ・ワルツ』
著者の得意分野である音楽ストーリー。クラシックの奥深さがこれを読んだだけでわかるとは言えないけれど、完全なものを追い求めながら不完全な結果を生み続ける苦しみは小説家含む多くのクリエイターが共感できる真実だと思った。ストーリーとしてはある指揮者とピアノ売りの恋が結ばれるところから破滅までを、アマチュアピアニストの土屋尚子から語られるという構成。呪いを解きたい気持ちと、真実を見たいという気持ちを両立していたみどり。明かされたふたつの真相の間で揺れる尚子。お互いの心が揺れ、結果的に尚子は前向きに、力強く指揮を振った。友情が崩れる場合もあれば、真実で誰かが救われることもある。単純に割り切れない世界の複雑さに思わず唸った。
『ゴーストの雫』
新しい登場人物である要(かなめ)。愚直だけど優しい、みどりの後輩。何よりも言いたいのが、このキャラクターが大好きになったということ。そう、みどりに欠けていたのは彼女のようなワトソンだったのだ! そんな痛快な気づきを最後に与えてくれた。みどりと要のペアで繰り広げられる話をもっともっと読みたい。
話としては、エアドロップ痴漢とリベンジポルノが題材の事件。テクノロジーが絡む犯罪から発想したであろう、逸木さんらしい話。語り手は要を中心としていて、元鳶職だった視点で工事や建築の現場を表現していく部分に新鮮味と驚きを感じた。調査結果がもたらすのはポジティブなものだけではない。それを承知しつつ、あくまでも職務の範囲内で人としてできる誠実な対応を見出した要に拍手を送りたい。そして、みどりの中にもちゃんと人を助けたいという気持ちがあることを、要の視点から描写したラストシーンにも膝を打った。こういった人物評は主観で語っても説得力がない。これからみどりが要との付き合いを通じてまた少しずつ変わっていく予感がして、みどりへの印象も変わり、今後がより楽しみになった。
総括。他の方も言及していたけれど、逸木さんの話はミステリ的な趣向にも凝りつつ、その中で繰り広げられる人間模様に血が通っているし、物語の全景としての美しさも維持してるところが凄い。この温度感と精密さの両立は他の作家さんにはなかなかない特徴だと思っていて、自分が逸木裕ファンである由縁でもある。
最後に、小説の感想という枠からは出てしまうが、ひとつ感じたことを。最近は個人的に長編を書くために色々と調べ物をしているけれど、この短編集を読み、まだまだ詰めが甘いなと痛感した。自分の何倍も取材や勉強をして一文一文を仕上げる小説家としての姿勢を各作品から感じ、背すじが伸びる思いがした。同時に、まだまだプロには遠いなと落ち込みもしたけれど、誰でも最初はにわかだろうという割り切りをしながら、少しずつ知識をつけていくしかないとも感じている。