難病と向き合って、心の乱高下
病変は活動期だけれど、無症状で落ち着いている。
数値(CRP:炎症ぐあいを表す数値)は安定している。
急ぐ必要はないが、バイオ製剤は使うことになる。
通院すると大腸内視鏡の画像を見せられながら、おおむね上記のような説明があった。
「やっぱり難病ですね。」と淡々と言われると、「あぁ、やっぱりそうなのか。」とあらためて難病であることを実感するものだ。難病という言葉にはやっぱり重みがあって、なんとも言えないしんどさを感じる。
薬局で1ヶ月分の薬と栄養剤をもらうとだいたい12000円くらい。
このときも、やっぱり病気なのかと実感するしナイーブな気持ちになる。
古傷をもった野球選手は「肘に爆弾をかかえている」と表現することもあるが、私の場合は「腸に爆弾をかかえている」といえそう。
これからも定期的な通院は必要だし、体調がどう変化するのか見当もつかない。5年、10年で手術することなしで健康でいたい、といのが当面の願い。
たまに仲良くなった人に病気療養中のようなことを話すと、「そういう時もある、ゆっくりしなよ。」と大抵はかえってくる。最初は「そうなのか。」と感じたのだけど、だんだん建前のように感じている。
本当はゆっくりしていてはダメなのではないか。
例えば人間関係やどういう風に人生を進んでいきたいのか、といった考え方や価値観が、病気によって「変わってしまう」のではなく、おそらく「変えてしまいたい」と暗に考えているのだと思う。
病気のせいにしてしまえば...なんていうのは、きっと逃げ。
そんな「逃げてしまいなよ」と「あくせく頑張れよ」という気持ちが拮抗して、最終的に自分を統括している第三者的な自分が困ってしまう。
そんな心のしんどさと考え方の乱高下に戦々恐々しながら日々を過ごしている。
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