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指図されるのは誰だって嫌いだ(リアクタンス)
※この記事は2022年1月26日にstand.fmで放送した内容を文字に起こしたものだ。
街を歩いていると、「立ち入り禁止エリア」書かれた看板や「撮影禁止」と書かれた施設をよく見る。なぜ禁止をしているかといえば、立ち入ったり撮影をしたりすることで、自分の身が危険になったり、提供者が不利益を被るからだ。だから僕たちはそれに従い、守ろうとする。
では、こういう書かれ方をしていたらどうだろう?
「この場所に入るのは危険ですから立ち入りはお控えください」
「この施設での撮影は迷惑行為なるのでおやめ下さい」
内容としては先ほどの警告とさほど変わらない。結局どちらとも、「中には入るな」、「撮影はするな」と言っているだけだ。ところが後者の警告の方が、なんとなく嫌な感じというか、反発したくなる気持ちになってこないだろうか?
基本的に人は自分の意志で行動していると思い込んでいる。そういう自信満々の脳は、他人から指図されることを嫌うようにできている。
なので、単に「〇〇してください」とか「〇〇をやめてください」などと言われると「なんの権利があって私に指図してるんだ」と反発したくなってしまうのだ。
このように、強制されるとつい反発したくなる傾向のことを「リアクタンス」と呼ぶ。
とにかく強制されるのを嫌うのが人間の基本的な習性ということだ。
逆に冒頭で紹介したような、「〇〇は禁止」のような表現は、強制ではなく規制されている。強制と規制の大きな違いは、命令する主体が人ではなく、社会的な合意であるということだ。こういう表現の仕方をすると、リアクタンスの発動はかなり少なくなることが知られている。
「禁煙区域」や「立ち入り禁止」と言った表現は、これらのを性質を活用することで諍いやトラブルを減らすことに役立てている。
ただ、規則さえ設ければ人は従いやすくなるということは、裏を返すと、都合の悪い行動は全て規制すればいいということにもなり得る。
特に日本は、リスクをとることに非常に消極的な文化があるため、会社の副業や、自動運転の試験運用、学校における部活動や制服に関する規制など、挙げればキリがない。しかも、規制だらけにされると、ルールの穴をついたモラルの低い行為が続出する恐れが出てくるため、余計に収拾がつかなくなる。
強制を見境なく強いるのは良くないが、規制をかけすぎて窮屈にさせるのもまた良くない。
大事なことは、強制や規制を時と場合に応じて上手に使い分けること。
例えば強制であっても、筋トレや宴の場などで上手に活用すれば、自己成長や盛り上がりにつながることもある。
そういう具合で使い方を考えて、好奇心や寛容な態度を意識することが、個人にとっても集団にとってもいい選択になりうるのではないかと思うのだ。
参考文献:自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80 (ブルーバックス)