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名前を偽ってでも数学を勉強したい:ソフィ・ジェルマン

※この記事は2022年3月1日にstand.fmで放送した内容を文字に起こしたものだ。


今日も数学史の解説していく。
理論や定理がよく分からなくても、どんな経緯でそれらが発見、完成されていったのか。その歴史だけでも知ると、数学への理解はもちろん他の科学とのつながりもよく理解できる。実際、数学史は科学の発展と密接な関係にある。
その世界観を少しでも知ってもらうためにこの解説が役にたれば嬉しい。

今回紹介するのは、18世紀から19世紀にかけて活躍したフランスの数学者ソフィ・ジェルマンという人物についてだ。聞いたことのある人は少ないと思うが、この人の残した功績には面白いものがたくさんある。

例えば、彼女が残した功績の一つに「ソフィ・ジェルマン素数」というものがある。
素数とは簡単にいうと、1とそれ自身の整数では割り切れない数のことだが、この「ソフィ・ジェルマン素数」というのは、ざっくりいえば、素数の中でも特殊なタイプのものだ。この数は、数の性質について調べる「数論」という分野の研究を大きく発展させたのはもちろん、安全なデジタル署名を生み出すための暗号論にも応用されている。まさに、現代のテクノロジーにも応用されている技術なのだ。

他にも、フェルマーの最終定理の証明に大きく貢献した「ジェルマンの定理の発見」や、視覚芸術や現代音楽、工学にも応用される、「クラドニ図形」という振動する面に現れる模様についての研究などでも重要な功績を残している。
これらを踏まえてフランスでは、彼女の功績を讃えて、パリの街に「ソフィ・ジェルマン」という名を冠した通りや高校もあるほとだ。

そんな、フランスでは有名なソフィ・ジェルマンだが、今回特に紹介したいのは彼女の生い立ちについてだ。

彼女は1777年、フランスのパリで生まれたる。父はフランスの国会議員や銀行の理事を務めていたので、家庭は裕福で、家の屋敷にはいろんな分野の本で埋まった書庫があったそうだ。
18世紀後半のフランスというと、ちょうどフランス革命で国が激しく変化していた頃で、一時期訪れた恐怖政治の頃には、公安委員会が市民をギロチンで処刑するようなことが行われていたので、ジェルマンはこの騒乱から逃れるために、期間のほとんどを自宅の書庫で本を読んで過ごしていたという。

13歳になったあるとき、彼女はギリシア時代の数学者アルキメデスに関するあるエピソードを読む。
それは、アルキメデスが砂の上で数学の問題を解くのに夢中になっていたあまりに、一緒に来るよう命じたローマ軍の兵士に対して「問題を解かせてくれ!」と強く求めたことで、兵士は怒ってしまい、アルキメデスは槍で殺害された、というものだ。
ジェルマンはこのエピソードを読んで、「そんな状況下にあっても人を夢中にさせる数学には、一体どんな魅力があるのか?」と思い、その影響で両親に禁じられていた数学の勉強を自分でもやり始める。

・ この、「禁じられていた」というのがまた面白いのだが、18世紀のヨーロッパにおける価値観では、数学は若い女性が勉強するような科目ではないと信じられていて、彼女の両親も、そんなことをしたら娘の頭がおかしくなるんじゃないかと心配していたそうだ。なので、娘が数学の本を部屋に持ち帰って夜に勉強していたのを知ると、両親は、彼女の暖炉の火を消したり、ベットに入って着るものを持ち去ったりして、どうにかのめり込ませないようにしていたという。今の日本でいう、「子供にゲームをやらせない両親」とか近いかも知れない。

ところがジェルマンは、こうした制約にもかかわらず寒い部屋の中でも毛布をまといながらずっと数学の本を読んでいたそうで、両親は、娘が朝になると机の上で寝落ちしていたのを見ると、「そこまでしてやりたいのか」ということで、彼女に数学の情熱を向け続けることを認めたそうだ。

そんな経緯で数学の勉強を続けることができたジェルマンだったが、あるとき一つニュースが入ってくる。それがパリに新しい工科大学が設立されたという話で、フランスで特に才能のある青年を対象に最高の数学と科学を学んでもらうための施設だった。
ジェルマンはこの大学で勉強したいと思っていたが、ここは青年、つまり男子しか入学を許されていなかったので、女子であるジェルマンは授業に出ることはできなかった。
それでもなんとか授業を受けたいと思った彼女は、何人かの学生と知り合いになり、講義ノートや宿題を見せてもらっていたという。このときジェルマンは、大学で出されていた宿題の答えをアントワーヌ=オギュスト・ルブランという名前で提出することにした。
当時その宿題をチェックしていた、解析力学の分野でも有名なジョゼフ=ルイ・ラグランジュという数学者は、このジェルマンによる偽名を使った解答に感心したという。彼は後に学生から、この宿題に回答したのは実は若い女性で、独学で勉強しているという話を聞くと、ぜひ合わせるよう求めたという。

ラグランジュはジェルマンの自宅を訪れて彼女と面会すると、数学の勉強を続けるよう励まして、自分ができるだけの支援をすると約束した。授業を取らせることはできなかったそうだが、本や研究論文を紹介して読ませたり、直接会って難しい概念の解説をしてあげたり、知り合いの一流数学者と引き合わせる機会もつくっていたそうだ。
その中でジェルマンが知り合ったのが、のちの三大数学者の一人である、フリードリヒ・ガウスだ。二人は手紙のやり取りを通して、数学の証明問題について議論したり、ガウスがジェルマン宛に励ましの言葉を送ったりしていたと言われている。

1807年には、フランス軍がドイツに侵入するというニュースを知ったジェルマンが、ガウス宛に心配便りを送っていて、アルキメデスが数学の研究をしていて兵士に殺されたことを思い出し、ガウスも同じ目ような死に方をしてしまうのでないかと危惧していたようだ。

彼女の求めによって、ジェルマンの父は友人の将軍に取り計い、フランス軍将校をガウスの自宅に派遣して危険から遠ざける手筈としたという。
ガウスはその後、ジェルマンに対して長いお礼の手紙書き、以前に増してジェルマンが数学者として成長するのを助けるようになったそうだ。

ということで、ソフィ・ジェルマンの生い立ちをざっくりと紹介してみたが、どうだろう?面白いと思わないだろうか?

やはり当時は、女性が数学を勉強することが一般的じゃない時代だったこともあって、両親からの反対も強かったことがよく分かる。
ただジェルマンは、そんな時代であっても自分の興味を掻き立てられる数学を勉強し続ける姿勢を貫いたわけだ。それが今では、こうして歴史に残る数学者になっている。彼女の生涯からは、数学の魅力と一緒に、興味関心の赴くままに生きる面白さも教えられていると僕は思う。

数学にもこういう歴史があるので、皆さんにもより知ってもらえると嬉しい。

参考文献:数学を拡げた先駆者たち―無限、集合、カオス理論の誕生 (数学を切りひらいた人びと) 

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