ひとりで抱え込まないで【自殺念慮】
はじめに。
うつ病を患ったり、自殺を考えたり実際に自殺を試みた経験があると、社会からマイナスな方向で見られることがあります。(私自身の経験)
つまりは、また自殺を繰り返しそう。またうつ病になって…。会社に被害が出るのではないかなど特にマイナスなことばかりを考えられたりしますが、
私はもうそう言った怖さもありませんし、むしろ誰にも経験できないことでよかったと今では思っています。
生きている喜び。をみなさんにお伝えできればと考え、この投稿をさせていただきます。
1人で抱え込まない。
私がそう言った行為に及んだとき。私は誰にも理解されない。1人だと感じていました。
社会から疎外され、金銭的、身体的(大学院時代であったため労働基準法などもない)、精神的に追い込まれ、相談もできない(しようとしない)。
やめた後のことを考え、先には未来が待っていない。自分の望む未来のためには我慢しなければならないと自己完結をしていました。
自己完結をしたその先に
自己完結をしたその先に待っていたものは、
【孤独】
です。
1人で抱え込みすぎて、気持ちが先走り、誰にも解決できないと思い込み、誰にも相談せず、勝手に孤独感を味わっていました。
誰かに会っても相談するわけでもなく、
ただただ笑って
【大丈夫】
そのひと言が自分の首を自分で絞めていただけなのです。
誰かに話した先に
前回の記事でも書きましたが、
誰かに相談することはかなり勇気のいることです。
恥ずかしいかもしれないです。
自分のプライドが傷つくかもしれないです。
でもその先に待っているものは
自分が思っていたものよりもはるかに
優しく
頼りになり
心が安らかになり
自分が思っていたことを上回る以上に。良いものが待っています。
人になにかを伝えることは難しいです。
伝わりきらないかもしれないです。
言葉で想いを伝える。現状を伝えたとしても、
100%伝わりません。
気持ちを込めて助けてほしい。知ってほしい。という想いを持って伝えることで、
(その当時はかなりの勇気を出しました)
それが相手に伝わっていくんです。
もし面と向かって伝えることが難しいのであれば、文章でもいいと思います。
誰もいないのであれば私のような人でもいいのです。
誰かになにかを伝えて自分の肩の荷が下りて生き続けるのであれば、良い意味で他の人を利用すればいいと私は考えています。
私がいざ自殺を試みた時に感じた
【生きたい】
という感情は人生に対しての後悔だと思います。
人は死ぬ時になにかしらの後悔をするはずです。
死んでいる人たちにも後悔はしているはずです。
誰かに感謝を伝えきれていなかった。
最後にこれをしたかった。
これを食べたかった。
など後悔すると私は実感しました。
生きる意味。人生とは。なにかを見失ったとしても。
最後に残した後悔を無くすためにも。
やり残したことがあるならそれをやりきる。
そう考えて私は生きる意味を見出しました。
まずは何か抱えているのであれば、
それを吐き出してもう一度考えてみてはいかがでしょうか。