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経験値という相違

 どうもtakuhoです。
最近、結構ワクワクすることを夏休みを通してやろうと思っていて、その準備に時間を割いている関係で、あまりnoteを書いたり、ネタを考える時間が取れないと言うのが現状です。
途切れ途切れになってしまい、申し訳ないです。

頑張って投稿が続くように努力します。

さて今日は、「経験値」というテーマで書いてみようと思います。

疑問

 みなさんはこんな疑問を持ったことはないでしょうか?
「なんで、努力すればできるのに、この人は努力しないんだろう?」
「なんで、自分が言った通りにやればできるのに、この人は言われた通りにやらないんだろう?」

これらの疑問は、自分の努力値が高ければ高いほど強く感じることや感じる回数が多くなったりすると思います。

では、このような"考えの相違"が生まれてしまうのでしょうか?
それは、"体験という経験値に差があるから"だと僕は考えています。

経験値がない人の選択肢

 基本的に、努力をし成功した人や、自分なりにその仕事をこなしたことがある人は、経験値として、その方法が正しいことを理解しています。
そのため、その方法でやることが最善であるということ頭だけでなく身体で理解することができています。
結果、その人の頭の中において、その行動の先にある選択肢は"成功"の一択になっています。

一方、成功の方法論を"教えてもらっただけ"の人に関しては、自分でその方法を体験したわけではなくあくまで聞いただけです。そのため、その人の頭の中において、その行動の先にある選択肢は"成功"と"失敗"の二択ということになります。

 経験という体験行動をしていない人にとって、他人から言われた成功体験談や成功の方法論はあくまでも、"聞いただけ"のものであり、その先にある未来を"成功"の一択にすることができません
そのため、言われたことに疑問を抱いたり、別の自己内成功体験がバイアスをかけ、言われたことを言われた通りに実行することが困難になります。

 つまり、体験行動という経験値の有無考えの相違を生み出しているんです。

相違をなくすために

 では、どのようにこの相違をなくしていくことが望ましいか。
それはもちろん「知ること」です。

 伝える側は相手に体験行動がなく、頭の中の未来が"成功"と"失敗"の二択になってしまっていることを知ることが重要です。
経験値がある人はもれなく、"経験値がなかった時代"を持っています。つまり、持っていない人と同じ立場だったことが必ずあるということです。
それを思い出し、昔の自分と照らし合わせることで、より相手の心情に近い気持ちを理解できるようになります。

 伝えられる側は、逃げていることを知ることです。
「あれができるのはあの人だから」、「あの人には才能があるから」諦めたり、失敗への伏線を貼っておくのは、逃げであるということに気づきいましょう。逃げた方が楽だし、逃げた方が傷つかないのは確かですが、それにいつまでも甘えていては、憧れにも理想にも近づくことはできません。

最後に

 いかがだったでしょうか、「経験値」
ちょっと僕なりの持論を展開しすぎたかなーという不安と、書きたいこと書いたなーっていう達成感とで変な感じです笑

経験をしても、経験をしなくても、視野は狭くなっていきます。
だからこそ、俯瞰してみて「知ること」ってとても大切なんだなと感じた今日この頃でした。

それではまた。

takuho

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