ネーミングの罠
どうもtakuhoです。
久々にバスケをやったら想像の5倍は動けなくてびっくりしちゃいました笑
去年の今頃はまだ、大学の授業でバスケをしたり、中学や高校で教えたりしていたので、行けると思ったんですが、堕落は早いものですね笑
しっかり運動します笑
さて今日は、昨日の続きとして今日本で起こっている「ネーミングの罠」について書いてみようと思います。
固有名詞にするメリット
今回のテーマは"名付け"です。どういうことかといえば、今まで名前がなかった現象などに新しく名前をつけるってことです。
わかりやすい例でいくと、"発達障害"などがありますね。ADHDは名付けをされる前までは単純に忘れ物が多い怠惰な子供という考え方をされていました。しかし、"ADHD"という固有名詞が誕生したことで、脳機能的に物忘れしやすい子供という認識ができるようになりました。
ここでのメリットはなんと言っても"可視化できる部分"ですよね。
今まではふわっとしていたものにしっかりと名付けをし、固有名詞化することにより、より鮮明かつ具体的なイメージを持つ事ができるようになります。
このことを俗に"細分化"と言います。いわゆるグループの中にあるものをより細かく分類することによって、よりイメージしやすくより区別しやすくすることができる方法です。これを行うことにより、原因が明確化したり、必要な行動が鮮明になったりしてくれます。今までは物忘れがひどいという認識しかなかったため、その都度厳しく注意するしか方法がなかったのが、ADHDという固有名詞を設定し細分化することで、ADHDに特化した対処法を施行する事が可能になってくる。
このように固有名詞を設定し細分化することで、よりイメージしやすくなりそれだけ的確な対応ができるようになります。
固有名詞化の落とし穴
しかし、この固有名詞化による細分化は多くの落とし穴が存在します。
その中でも、気をつけなければいけないのが「差別化」と「収集」です。
細分化をし、見分けることができるようになると、それは差別の対象にもなります。今までは物忘れが激しい子という認識だったのが、ADHDの子=自分たちとは違う存在という認識に変わってしまう。物忘れがあるなら治せばいいという考えが、ADHDだからしょうがないという諦めに変わり、「あいつはADHD」という差別的発言へと変貌を遂げてしまう。女の子っぽい男の子が"ゲイ"に変わった途端、気持ち悪がる対象へと変化してしまう。
これらは、その当事者たちが悪いのではなく、固有名詞化したことによる落とし穴なんです。
また収集という部分も気をつけなければいけません。基本的に固有名詞化による細分化を行うと、それだけ情報量が増えることは確かです。
そして、ここで出てくるのが、昨日の"具体と抽象"の話です。抽象をどんどん細分化して具体的にすることで、具体が先行し、本来の抽象の意味が全て入ってない具体を、意味の全てだと勘違いしてしまう現象が起きてしまっています。
いい例がハラスメントですよね。パワハラやセクハラ、前回書いたハラハラ(ハラスメント・ハラスメント)など、多くのハラスメント問題があるものの、細分化をしすぎてしまった結果、ハラスメントのコアイメージ(本来の意味)とは違う意味で使われてしまっています。
これはひとえに、ハラスメントという固有名詞で社会問題を明確化しようとしたものの、その収集をつけることができなかった事が原因です。
固有名詞化による細分化は、いい意味でも悪い意味でも人間の意識的な部分を変化させます。より的確なイメージを与えることも、逆に差別的なイメージを与えることも、収集がつかなくなる事態を招くことも可能です。
だからこそ、本来の意味である抽象は一体何で、その抽象のどこの部分を具体化した言葉なのかを常に意識しながら言語は使用するべきなのです。
最後に
いかがだったでしょうか、「ネーミングの罠」。
固有名詞化することはとても便利な反面、色々なリスクがあることを理解した上で、使っていきたいですね!
それではまた
takuho