幸せを作り出す夢の国
どうもtakuhoです。
この間、夢の国へと出張をしてきました。一緒に行ってくれた友人のおかげで久々に行った夢の国を、計画的にしっかりと楽しむことができたなと感じております。一緒に行ってくれた3人、マジでありがとう。
そんな夢の国にこの歳になって行ったからこそ感じた「幸せ」がありました。
以前、『幸せの能動性』というタイトルで幸せについては語りました。しかし、どこか自分の中でしっくりきていない部分があり、結果あまりPV(みてもらえた回数)も、評判も良くありませんでした。
そんなモヤモヤを夢の国が解消してくれたので、共有していきたいなと思います。
幸せの再定義
ここで重要なのがやはり、幸せとは何かという部分です。これがあやふやだとおそらく話が入ってこないかと思いますので、ここはしっかりと僕なりの定義をしておこうかと思います。
僕なりの"幸せ"の定義は、"生きている意味になるもの"です。
「人生は暇つぶし」という名言があるぐらい、人生に意味を見出そうとすると結構難しかったり、もしくはなかったりするかと思います。これも一つ人間が考えないといけないものかもしれません。
しかし逆に言えば、人生に対して意味や意義があるってわかった瞬間人は幸せになれるのかなとも思っています。
夢の国を作り上げる努力
中学生ぐらいの頃、恥ずかしながら「夢の国なんて」って思っていました。当時の僕が思っていたのは「作り物の幸せ、恩着せがましいな」ということです。感動させるための白々しいほどの演出、大きな音と、万人が感動しそうな音楽、光、そう言った"壮大"を作り上げる演出なんて、そんな白々しいものになぜ感動するかがわからなかったんです。
しかし今回、noteのネタになるものはないかなと、ちょっと普段とは違う視点から夢の国を見てみました。するとその感動のロジカルを見つけました。それは、ウォルト・ディズニーカンパニーに、それが手がける施設に、その施設で働く従業員に、根付いている思い、
だったんです。
その理念は、おそらくCEOだろうとバイトだろうと関係なく持っているものなんだろうなと思います。「夢の国でもらった感動を自分も誰かに与えられる人になりたい」、「誰かを笑顔にしたい」、「この感動をいろんな人へ繋げていきたい」、そう思われて"100年間磨きに磨かれた人を幸せにしたいという想い"は自然と接客に、音楽に、演出に現れ、また新たな幸せを生み出していく。そんな純粋な幸せを願う想いの結晶こそ、今の夢の国なのかなと思います。
100年の蓄積は伊達じゃなかったです。
幸せは与えるもの
夢の国から教わったことは「幸せは返却物である」ということです。きっと、幸せを与えようとしたことがない人に、幸せは認識することができません。だからこそ、与えられているのがわからない。中学生の僕が、夢の国で幸せを認識できなかったのは、単純に幸せを与えようとしたことがなかったからだったんです。
このことから、自分の生きる意味である幸せを感じる方法とは
です。
自分が与える側にならないと、受け取ることのできない「幸せ」。そんな厄介かつ、超絶面白いものを、これからも追い続けていくために、誰かに幸せを与え続けることこそ、幸せであり人生なんじゃないかなと勝手に思った今日この頃でした。
最後に
いかがだったでしょうか。改めて書いてみるとだいぶ壮大なテーマですよね。
幸せを認識できるようになるためには、まず、自分が誰かに幸せを与えてみようと努力することが必要だったんですね。
それに100年の歳月をかけていた偉大なる先輩からの教えを無駄にしないように、これからも努力していきたいなと思います。
それではまた。
takuho