友人"R"
どうもtakuhoです。
最近、いつにかける時間が少なくなってしまっていて、それでも「すごいね!」って言ってくれる人がいて、本当にありがたいです。結構そう言った声って励みになることを身をもって体感しました。
さて今日は友人シリーズ第8弾です。僕の地元の友達"R"君を紹介していこうかと思います。
友人"R"
今日紹介する友人"R"は今まで一度も印象が変わったことがないぐらい、ずっとまっすぐな子です。そんな彼を一言で表すと「優しい人」です。そんなめちゃめちゃ優しい人を今日はご紹介しますね。
優しいという概念
実は、今回の「優しい」はテーマとしてめちゃめちゃ手を出すのに勇気がいるんですよ。なので震えながら書いています笑
なぜ、優しいというテーマがそこまで手を出しづらい概念かというと、「普遍性があまりないから」なんです。
例えば、「命は大事だよね」って概念は、結構な確率で共感を生むことができるため、そこから派生させたものを書くのは比較的簡単です。
でも「優しい」は人によって感じる部分が違います。「こういう場面で優しいと感じる」は人によって違いますし、「それは別に優しいと感じない」も人それぞれです。
このように「優しい」は共通認識の幅が他の概念に比べてだいぶ狭いので、書いても「なるほど」と思ってもらえることが実は少ないんです。
なので、ここでは、なるべく細かく優しいの概念を設定しておきます。
僕はこの世に優しいの基準は二つ存在すると思っています。
一つ目は「主観的優しさ」です。例えば、彼氏が車道側を歩こうとします。その行動が彼女の優しい基準にマッチしていれば「車道側を歩いてくれて優しい」となります。しかし、その行動が彼女の優しい基準にマッチしなければ「優しいを気取ってるな」という印象に変わります。
つまり、相手の優しい基準にマッチしない限り、どんなに優しさでやっていた行動でも、それはただの鬱陶しい行動になっています。
なので、相手の優しい基準は一体どんなものなのかを探るのは「優しい人」になるためには必須なんだと思います。
二つ目は「客観的優しさ」です。例えば、お金を貸してくれというA君がきた場合、そのA君が置かれている環境によって優しさが変わると僕は思っています。A君が勤めていた会社が倒産してしまって、生活費がないからお金を貸してくれの場合、貸すのは優しさかもしれないです。しかし、A君がギャンブルで借金を作り、またギャンブルをするために貸してくれと言ってきた場合、そこでお金を貸すことはおそらく優しさではありません。
このようにして優しさは「主観的優しさ」の基準と「客観的優しさ」の基準に分けることができると僕は考えています。
優しい人とは
ではそれを踏まえて、優しい人ってどんな人なのかなって考えると、僕は友人"R"ができてきます。
彼のすごいところは、僕や友達のことをよく知っている部分にあると思っています。
上で話した「主観的優しさ」と「客観的優しさ」には共通点があって、それは「相手のことをよく知っていないといけない」ということです。双方とも相手の性格や、行動指標、置かれてる状況、今思っていることなど、相手の情報をどれだけ持っているかって結構大事なんですが、彼はそれが昔からできている印象です。
この遊びをするなら、AとBを呼んだほうがいいとか、Cはこういうの得意じゃないから、今日は呼ばないほうがいいとか。それを無意識に感じるとることにすごく長けているなと思います。
それは初対面の相手に対してもそうです。なるべく自分から当たり障りのない話をわざと仕掛けて、そこからこの人はこれが好きあれは嫌いを選別し、その人の性格とか、優しいの基準を見極めています。しかも、無意識に。
そのため、彼はずっと僕たちに優しいんだと思います。だって僕たちのことを知ろうとして、それを覚えているから。僕にどんなことしたら僕が優しいと思うかを知っているから。僕に何が必要か知っているから。
根が優しい人はおそらくそれを自覚しておらず、素でそれをやっているからこそ、僕みたいに色んなところから「優しい人とは」みたいな知識を持ってきて、あえて優しい人になろうとする人は彼らに敵わないんだと、彼を見てると痛感します笑
最後に
いかがだったでしょうか、友人"R"。今日は少し優しさにフォーカスしすぎて彼の良さを伝える部分が少なくなってしまったなと反省しています。
彼の中にある、「人の嫌がることはしないようにしよう」とか、「なるべくみんなが楽しいほうがいい」とか、そういう思いはきっと周りをよく観察して、それに対して行動できる行動力があるからこそ、自然と出てくるものなんだろうなと思います。
こんな優しさに基準とかを設けている僕はおそらく勝てないです笑
ただ、そんな彼の優しさに甘えないように、僕なりに相手の優しい基準に入っていけるように凡人なりの努力はやめないようにしようと思います。
それではまた。
takuho