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姫
あだ名は姫だった。
高校時代に付き合っていた彼女の、友達である。
もっとも彼女のほうは、姫が友達だなんて、
頑ななほどに、認めようとはしなかったが。
年よりも若く見え、しぐさや口調も、
なんとなく幼い感じがした。
姫というあだ名にふさわしく、
世間知らずな一面も、なくはなかったが、
そんなにひどいものではない。
普通の会話の出来る相手だった。
ところが時々、突拍子もない反応を示すことがある。
「世界が絶対精神の弁証法的自己疎外体だなんて、
信じられな~い」
とか、
「あなたの意志の格率が常に同時に、
普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよなんて、
無理無理~」
とか、あるいは、
「きょうの私って絶対矛盾的自己同一な気分なの~ぉ」
などと、突然何の脈絡もなく叫ぶのだ。
実は彼女のことばを、忠実に再現しているわけではない。
ニュアンスだけでも伝わればと思って、
乏しい知識を総動員して、擬似的に再現してみたのである。
姫は一学年下であったが、聞くところによると、
成績は学年で3番以内から落ちたことがないという。
進学校だったので、それだけの成績ならば、
相当なところへ入れたはずであるが、彼女は、
三流以下の大学に入学し、
そこもすぐに中退して、姿を晦ましてしまった。
もしかしたら今頃は、名前を変えて、
お笑いをやったりしているのかもしれない、
などと思ったりもする。
哲学漫才とか難解晦渋漫談とか…そういう芸風の、
マイナー芸人を知っている方、
いらっしゃいませんか?
ちなみに彼女の愛読書は、
ジョルジュ・バタイユの『無神学大全』です。
※タイトル画像はヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)。