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【ブログ_経済】寒空の夜に感じた、街と経済の息苦しさ

どうも、たこやきです。
今日は、出張帰りの一幕です。。

また一つ、夜の店が、静かに幕を下ろした。
最近、この街では閉店の知らせを聞くことが増えた。
物価高の影響がジワジワと市民生活にのしかかり、労働者の財布の紐は固く締められている。特に、サラリーマンたちは限られた手取りの中でやりくりしなければならず、仕事帰りにふらっと立ち寄る店すら贅沢に感じているのかもしれない(あまり贅沢すると、奥様から怒られるからね)

私は2024年頃から個人事業主として働き始めた。
最初は「自由に働ける!」と軽い気持ちでスタートしたものの、すぐに壁にぶつかった。それが「経費」の問題だ。サラリーマン時代は、経費なんて会社が管理してくれていたし、領収書一枚で済む話だった。けれど、個人事業主になってからは、その一枚一枚が自分の事業にどう影響するのかを考えるようになった。税金、控除、仕訳……。正直、最初は「何これ、めんどくさい」と思った。でも、勉強していくうちに、この「経費」というものが、いかに自分のビジネスにとって重要かを実感するようになった。

夜の店に話を戻そう。

私も取引先との関係構築や、アプリの営業活動の一環として、接待交際費を使うことがある。情報交換をして、未来のビジネスチャンスに繋がることもある。だからこそ、夜の街はビジネスの舞台でもある。しかし、最近はその舞台がどんどん狭くなっている気がする。

店が閉じ、街から人が減ると、自然と、人間の活気とビジネスチャンスも減っていく。

昭和の時代には、サラリーマンたちが「会議費」「接待交際費」を惜しみなく使い、夜の街を盛り上げていた。仕事終わりの一杯が、翌日の取引を決めることもあった。それが「日本経済」を下支えしていたのかもしれない。

まさに、社用族。学生時代、部活の場に先輩が来て、帰りになかま2~3人とともに飲みに行ったことがあった。

だけど今は、企業も個人も財布の紐を締めるばかり。
税収は健全化しているのかもしれないが、街の活気はどんどん失われている気がする。国民がじわじわと疲弊していくこの空気感は、なんとも言えない息苦しさで家路につく。

寒空の下、閉店した店の前を通り過ぎると、まるでその場所から街のエネルギーが一つ消えたような気がした。ネオンは灯っているけれど、どこか冷たい。まるで「生きているのに、心が止まっている」ような感覚。こんな時、ふと思う。「このままでいいのだろうか?」と。
だけど、同時に「仕方ないのかもしれない」と諦めにも似た感情も湧いてくる。そんな厭世的な気分を抱えつつ、私は別の店へと足を運んだ。
街はまだ完全には死んでいない。
寒い夜の中でも、人と人が出会い、何かが生まれる場所がきっとある。

そう信じたい。。。

経済は数字だけでは測れない。
街の空気感、人々の表情、そして夜の灯り。
そんなものが、実は経済の「温度」を示しているのかもしれない。
個人事業主としてまだまだ勉強中の私だけれど、こういう街の変化を敏感に感じ取ることが、これからのビジネスにも繋がるんじゃないか、なんて考えた夜だった。

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