ローリング膝栗毛(上)
「痛っ、痛い痛い痛い」
アーケード商店街、両脇に隙間なく自転車が駐輪されている舗道の真ん中で、上半身は岩本力、そして下半身は佐目毛の馬の半人半馬が地面に蹲って凝縮しているところへ、腰まで伸ばしたソバージュヘアーを風に靡かせて颯爽と通りかかった私は、湖のような気持ちで半人半馬に手を差しのべた。
「どうかしましたか? お加減でもお悪いのですか?」
「ああ、おネエちゃん、聞いてえな、あんな、脾腹に矢、刺さてもうとんねん、ほら、見てみ、ここ、ここ」
「おネエちゃんではないのですがね。まあ、ある意味おネエちゃんで間違いはないのですが。どれどれ、本当だ、脾腹に矢が刺さっている」
「な、な。もう痛うて痛うてどんならんねや。なあ、後生やさかい、なんぞ按配してえな」
「よござんす。按配しましょう」
「ほんまけ。あざあす、あざあす、って何してるの? もしかして、矢、抜く気? あかんあかん、そんなことしたら血がぶっしゃーってなって出血多量でわし死んでまうがな、って、え? ほんとに? ほんとにやるの? やめて、やめて、うわーっ、ほんまにやりよった、血がっ、血がっ、ひいいいいいっ」
半泣きみたいになっている半人半馬を完全に鹿斗して、出血している箇所に右の手の平を当てると、手の平がぴかーっと光って、みるみるうちに出血は止まった。
「おおっ、おおっ、おおっ、おおっ、おおっ、血がっ、血が止まった、おおっ、傷口もふさがっとるやないやかいさ、おおっ、おおっ、おおっ、おおっ、おおっ、いいっ、いいっ、いくー」
「顔はやめてね」
「ほんと、朴木原ポーロの野郎だけは許せないっす」
そう言って榮グローリーと名乗る半人半馬は、塩キャベツを手でつかみ、ばりっ、ばりっ、歯で咬み粉砕した。口のまわりに付着した油が穢らしい。
「ほんとだよね、許せないですよね」
「だしょだしょ?」
「はい。ところで榮君。グローリー君。ええと、何と呼べばいいのかな?」
「グローリーでいいっす」
「じゃあグローリー君。ところでさっきから言っているその朴木原ポーロというのは一体何者なのかね?」
「ずこっ。ちょっとー、勘弁してくださいよー。さっきそれ、説明したじゃないですかー。聞いてなかったんですかー」
「Oui monsieur」
「Oui monsieur.じゃないすよ。たく、たのんますよー。ほいじゃあもう一回説明しますから、ちゃんと聞いててくださいよ」
「All night long」
「大丈夫かな、この人。朴木原ポーロはですね、ウチの半人半馬チームと対立してる半人半牛チームの構成員でして」
「ちょっとよかですか」
「なんですか」
「ガンダーラ古代岩塩のピザ、というのをオーダーしたはずなのだが、まだきていないのだが、オーダーは通っているのかね?」
「そっすか? ちょっと確認しますね。すいませーん、あの、ガンダーラ古代岩塩ピザというのを注文したんですけど、まだきてないんですけど、注文って通ってますぅ? あ、通ってる? 通ってますって、すいませんした、よかったすね、ええと、どこまで話しましたっけ?」
「グローリー君が最近通販でアナルパールを購入したというところまでです」
「購入してませんよ。もー、なんの話してんすか、朴木原ポーロ、っすよ、朴木原ポーロ」
「にやにや」
「にやにや、ってなんすか。ひょっとして、俺の話、聞く気なかったりします?」
「バレました?」
「ひひーん」
ぱからっ、ぱからっ、ぱからっ、ぱからっ、ぱからっ、ぱからっ、ぱからっ、ぱから。
「うーん、なんともいえない乗り心地ですな」
「へへっ、快適でげしょう?」
「むっさ最悪っす」
「あひゃーん」
みたいな会話を交わしながら、榮グローリーの背に乗った私と、私を背に乗せた榮グローリーは、国際通りに来ていた。
「すいません、朴木原ポーロ探し、付き合ってもらっちゃって」
「朴木原ポーロ。グローリー君が所属する半人半馬チームと対立している半人半牛チームの構成員で、グローリー君の脾腹に矢を射った奴だね」
「誰に説明してんすか」
「たはっ」
「それよりもあしこ、あしこ見てくだせえ。あしこのビルの二階にガールズバーがあるでしょう?」
「ははん」
「あしこのガールズバーに、エドモンドちゃん、ってのがいるんですが、朴木原ポーロの野郎、どうやらこのエドモンドちゃんにずいぶんと入れ込んでやがりましてね、近頃じゃあ週七で通ってるらしいんですよ」
「週七て。毎日じゃないですか」
「はい。だもんでここで張ってれば楽勝で朴木原ポーロの野郎に行き着くって寸法でさあ」
「アッパ!」
「げっげっげっ。ほいじゃあ、あしこにちょうどいい空間がありますんで、あしこで朴木原ポーロの野郎が現れるのをゆっくりと待つとしましょうずら。げっげっげっげっげっ」
「Yes.we can」
一時間九分四十一秒たった。それどころか一時間九分四十二秒たった。さらに一時間九分四十三秒たった時点で、私は榮グローリーに声をかけた。
「あのさあ、グローリー君」
「むしゃむしゃ、なんでふか?」
なんということであろう、一体どこからそんなものをもってきたのか、いつの間にか榮グローリーは豚足を食べているではないか! 私はにゅうめんのような気持ちで、あらためて榮グローリーに問うた。
「グローリー君」
「はひ?」
「君はそれはなにを食べているのかね?」
「むしゃむしゃ、豚足っふ」
「そうか。旨いか?」
「チョー不味いっふ」
「そいつはBravoだ。ところでグローリー君、もうかれこれ一時間十二分五十七秒たつね」
「ふぉっふね」
「朴木原ポーロ、全然来ないじゃないですか」
「ふぉっふね」
「ふぉっふね、じゃないですよ。いいかいグローリー君、朴木原ポーロが週七であのガールズバーに出入りしているという情報は本当に確かなんだろうね?」
「間違いないっふ。むしゃむしゃ。あっ」
「どうした、グローリー君。あっ」
榮グローリーの視線の先に目を転じると、ガールズバーの前に黒塗りの車が二台、ボン、ボボボボボボボン、ボン、ボボボボボボボン、と重低音を響かせながら横付けしたと思ったら、中から屈強な黒スーツ姿の男が四人、ぱっと出てきて、後から頭頂部がつるつるに禿げて、体全体が鱗に覆われた、背中に甲羅を背負った河童が、ぎんぎんになりながら姿を現して、黒スーツたちに先導されてビルの中へ入っていくところであった。
「おい、グローリー君、なんか変な河童がビルに入っていくよ」
「やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい」
「どうした、グローリー君?」
「やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい」
「おい、グローリー君ってば」
「やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい」
「ええいっ、ここなうつけ者めが、しっかりせんかい! えいっ」
「はふん! あれ? 僕、なんか言ってました?」
「どうやら正気に戻ったようだね。まったく世話の焼けるGuyだ」
「面目次第もございません」
「それで、一体どうしたというのだい? あの河童を見た途端取り乱したようにお見受けするが」
「へえ、まったくその通りでごぜえまして、あの河童、名を波夷といいまして、最近になって半人半牛チームが用心棒として雇ったようなんでげすが、こいつがもうほんと、恐ろしい奴で」
「ははん。恐ろしいって、なにが恐ろしいんだい?」
「へえ、それがなんでも、あの河童と目が合った奴は目が潰れるとかなんとか」
「Ahahahahahahahahahahahaha」
「なんですか、その外国語的な笑いは。ほんとなんですって」
「いやあ、失敬、失敬。なにも疑ってるわけじゃないんだ。でもねグローリー君、君はまだ若いからそんなことでいちいち恐ろしいと感じるかもしれないけどね、私くらいの年齢になると、目が潰れるとかそんなことは全然取るに足らないものなんですよ」
「はあ、そんなもんですか」
「そうだよ。よし、ほいじゃあいまからちょっと行って河童、ここに連れてきますよ。もしかしたら朴木原ポーロの居場所、知ってるかもしれないし」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、やばいですって」
「ダイジョブ、ダイジョブ。君はここにいて豚足でも齧っていてくれ給え」
河童とエドモンドちゃんを連れて戻って来たときの榮グローリーの顔といったら笑った。
「こ、これは…」
「やあ、グローリー君。How are you? 約束通り河童の波夷君と、ついでにエドモンドちゃんも連れてきましたよ」
と私が言う前から榮グローリーはもじもじして、必死に河童と目を合わせないようにしている。おそらく本当に目が潰れると思っているのだろう。ははは、おもしろい、おもしろい見世物だ。
「どうしたんだい、グローリー君? なにをそんなにもじもじしているんだい? ああっ、そうかっ、君は河童と目が合うと目が潰れると信じていたんだったね。駄目じゃないか波夷君、グローリー君を怖がらせちゃ」
私はうなだれている河童に強烈な肩パンを入れた。河童はぎゅっと目を瞑り、下唇を噛んでこれに耐えている。
「ほら、波夷君、グローリー君にちゃんと謝らないか」
そう言うと河童はしばらくの間無言で下を向いて体全体をぷるぷる震わせていたが、やがて観念したのか、
「どどどどど、どうも、す、す、すんまへんでした」
と、ぼそっと呟くような小声で言って、頭を下げた。
「うんうん。それから?」
「じ、実はおで、おでと目、目が合うと、目、目、、目が潰れる、ってのはブブブ、ブラフ、つ、つまり、ハッタリでして、は、はっきり、いいい、言ってしまいますと、ほ、ほ、本当はおでには、そ、そんな、ちちちちちち、力は、ないんでございますです、はい」
「あ、そうなんですか」
「へえ、ほ、ほんま、すすす、すんまへん」
「と、いうわけなんですわ、グローリー君。この薄汚れた穢らわしい河童は、ハッタリひとつで半人半牛チームの用心棒までのし上がったと、まあこういうわけなんですな。そんなハッタリに騙される半人半牛チームの連中って、もしかして馬鹿? なんて僕なんかは思ってしまうんだけど、それはひとまず置いておくとして、となると、おいこら、河童」
「は、はひいっ」
「当然、朴木原ポーロの居場所は?」
「しししししししし、し、知りません」
「ですよねー。はいっ、そこでお待たせしました、エドモンドちゃん、出番っす」
前髪ぱっつんの金髪のロングヘアー、毛先をショッキングピンクに染めていて、海豹のような体型に白のタンクトップ、デニムのホットパンツ姿の、五十代前半のエドモンドちゃんは、右斜め上の一点を見つめながら、静かに口を開いた。
「私は朴木原ポーロに強姦されました。朴木原ポーロは現在私のマンションに居ます。私は朴木原ポーロに軟禁されています。週七で店に出入りしているのも、私が逃げ出さないように監視しているのです。朴木原ポーロは行為の際、必ずフェラチオを要求してきます。朴木原ポーロのチンポは臭いです」
そう言うと、エドモンドちゃんは再び口を閉ざした。よく見ると、エドモンドちゃんの鼻と上唇の間にはうっすらと髭が生えていた。
榮グローリーは困惑した表情を浮かべていた。
河童は蹲って絶望していた。
僕らはみんなべとべとのチャーハンのようだった。