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「伝わらない」を知る事がコミュニケーションの第一歩

自分で言うのもなんだが、僕は後天的に社交性を身につけた人間である。

20代前半までは、人と話す事に自信が無く、自然体で話す事に抵抗があり、無理に明るく見せようとして空回りする事がよくあった。そして、空回りした自分を後で思い出して、落ち込み、また人と話すのが嫌になる、という悪循環を繰り返していた。

自分がなぜ人と話すのが億劫だったのか。
今はその理由がわかっている。

僕は「伝わらない」事にひどくストレスを感じていたのだ。

自分が言いたいこと・意図したことが相手にうまく伝わらない。
そんなつもりは無いのに、悪意があると誤解される。
過去に相手の言ったことを覚えていない。逆に、自分の言った事を相手が覚えていない。
言った事を理解出来ない相手をバカにしてしまう。逆に、理解できない話をする相手に腹が立つ。

学生までの僕はこんな風に頭を悩ませていた。そして、「伝わらない」なら話なんてしない方が楽だ、と考えるようになる。


しかし、社会人になれば、「話をしない」なんて選択肢は無くなる。人とのコミュニケーションは必須だ。

社会人になった当初は、コミュニケーションにかなり苦労した。上司・先輩の言っている事はうまく理解出来ないし、自分の話はうまく伝わらない。

(それだけが原因ではないが)コミュニケーションがうまくいかない事がストレスになり、軽い鬱になり、休職した経験もある。
最初の上司にはかなり嫌われていたし、「コミュ症」とバカにもされていた。
僕はコミュニケーションが求められる「社会」というものが嫌になっていた。


そんな、社会人として自信を失っていた時に、3人目の上司の言葉が僕を救うのだった。

「お前な、わかんなかったらわかんないって言えばいいんだぞ。相手が上司でも先輩でも。俺だって一回言えば理解できるなんて思っちゃいないんだから」

このセリフから僕は様々な事をいっぺんに学ぶ。

「理解していない」という事は決して恥じる事じゃない。
そもそも、一回で全て理解するのなんて無理なのだ。
そして、それは自分だけではなく他人も同じなのである。

コミュニケーションにおいては「伝わらない」事は当たり前の事なのだ。

それに気づいてからは、人間関係のストレスがかなり減った。
僕の「伝わらない」事へのストレスは、「話せばわかる」「よく聞けばわかる」という過剰な期待から生まれたものだったのだ。
わかんないんだったら何度も聞けば良い。
相手がわかってないんだったら何度も言えば良い。

そう考えると今度は「一回言えばわかるだろ?」という態度の人間を拒否する生活になるわけだが、なんて事ない、そんな風に考えてる人間の方が少ない。
多くの人が、おそらく「伝わらない」事を受け入れて生きているんだ、という事だと思う。

僕の場合、「伝わらない」事が当たり前、と思えるようになってからコミュニケーションにおける不安が無くなった、と言っても過言ではない。
もし、コミュニケーションに不安を持っている人がいれば、一度僕と同じように考えてみて欲しい。きっと、人間関係のいろんな不安が無くなると思う。

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