平凡な僕の「ホラー映画論」
僕はホラーやスリラーの映画が好きである。
好きなのだが、たまに見たことを後悔する作品がある。
一言で言うと「取り返しのつかない状態で生きていかなければいけない状況になる」ものがかなり精神的に参ってしまう。
例えば、以前レビューを書いた「OLD」は、急速に老化が進行してしまう海岸に閉じ込められた人々の話なのだが、物語が進むにつれて人々が老いていく姿を見ていると、過ぎた時間は戻らないのだから、このまま脱出出来てもその後の彼らの生活を想像すると救いようがなくて見ていられない。いっそみんなここで死んでしまった方が幸せなんじゃないかと感じてしまうのだ。
ある意味ホラー映画の中で"死"は"救い"である。怖い思いをして、辛い思いをして生き続けるよりも、"死"によって"解放"される方が良いと思えることがある。
死よりも辛い"生"は、例えそれがフィクションの世界であっても、見ていて辛いものだ。
そんな僕にとって、一時期とんでもなくホラー映画が怖い時期があった。それが、今から10〜15年ほど前の2010年前半の頃だ。
そのあたりで僕が観た映画で観るのが辛かった映画を列挙すると、
マーターズ
拷問男
ムカデ人間
ミスタータスク
である。これらをまとめて僕は「死んだ方がマシ」映画と呼んでいる。
最初2つ「マーターズ」「拷問男」は生きたまま凄惨な拷問を受ける。殺されることもなく、痛みを想像するのも辛い傷をつけられる様を見ているのはかなりつらい。
生きたまま傷つけられる映画はホラーに限らず色んな映画で描かれるが、後の2つ「ムカデ人間」「ミスタータスク」はある意味ホラーというジャンルでしか描けない狂気がある。この2つはマッドサイエンティストにより「生きたまま"意味のないもの"に作り変えられてしまう」というもの。この2作こそ、僕が苦手とする「死んだ方がマシ」映画の最たるものだ。
なぜかこの2作を連続で見てしまい、その後一年ほどホラー映画を観ることが出来なくなってしまった。
さて、そういう意味では僕の中で最も怖い映画として「ムカデ人間」と「ミスタータスク」が不動の2作だったのだが、最近また究極の「死んだ方がマシ」映画に出会ってしまった。
「哭悲」という韓国のホラー映画である。
容赦のない残酷描写で話題となった作品である。グロ描写やゴア描写には比較的耐性のある僕だったが、そういった表現よりも設定に僕は精神的にやられた。
あらすじだけみればゾンビ映画のような設定なのだが、ウイルスに感染した人々は凶暴性を持ち人々を襲うのだが、彼らには意識がハッキリ残っており、罪悪感に苛まれながら凶行に及んでいるというのである。
やりたくないのに、衝動が抑えられずに快楽殺人に身を投じてしまう。凄まじい「死んだ方がマシ」設定である。
おそらく僕の想像できない「死んだ方がマシ」設定というのが、まだまだあるのだろう。そんな人間の想像力に感動を覚える一方で、恐ろしさを感じる。
今後、どんな「死んだ方がマシ」映画が出てくるだろうか。怖いと思いながら楽しみにしている僕がいる。