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〜note開始1周年〜noteでの活動について振り返る
noteから通知が来て知ったのだが、noteをはじめて1周年だそうだ。
せっかくの節目なので、これまでの僕のnote執筆についての思いや考えなどを改めて思い返してみようと思う。
〜noteを始めた経緯〜
読んだ本の感想をただただ書いていく、というこのnote執筆。
僕個人では、他に音楽に関するブログや映画に関するブログも書いていたりするが、今の世の中、そういうモノを書いているとどうしても頭にチラつくのが"副収入"である。
周りにブログの事を知られ、「収入あるの?」という質問を受けることもしばしば。自分の中でもアフェリエイトなどの収入について意識してしまう。
そして、そちらに意識がいくと、今度はブログの中で自分が本当に薦めたいものではなくウケが良さそうなものを選んで紹介してしまったり、個人的に気に入らなかった事でもブログの中ではベタ褒めしてしまったりと、アクセスしてもらうのを意識して色々と忖度してしまう。そのうちに、ブログの内容が僕の望んでいたものから離れていく。
実は過去にそんな失敗を何度も繰り返しては、いくつもブログを閉鎖している。
本当は自分が面白くないものは面白く無かったと書きたいし、ほとんどの人に知られていないものでも面白ければ発信したい。
思い出せば、僕の学生時代は、ブログやSNSなど、自己発信のツールがどんどん発展していった時代だ。そんな中で僕は純粋に「自分の考えや思いを発信したい!」と考えていた。
noteの存在を見つけた時、僕の中でその時の思いが蘇った。
「発信したい」という以外の欲を全て無くして、純粋な記事を書きたい。
これが僕のnoteを始めたきっかけだ。
なので、今後も
・自分の他のブログや活動へのリンクは貼らない(少し前までTwitterのアカウントのリンクを作っていたが、それも外した)
・アフェリエイトなどの広告もここではやらない
という点を徹底していきたいと思う。
他の活動とは切り離して、ピュアな気持ちでnoteは続けていこうと思う。
〜「敬体」or「常体」文体について迷った〜
さて、noteを始めるにあたりまず迷ったのが文体だった。
「敬体(です。ます。いわゆる敬語)」で書くのか、「常体(だ。である。)」で書くのか。実はここを決めるのにまぁまぁ時間がかかった。
というのも、今までのブログでは敬体で書くことがほとんどだった。やはり、読んでもらう事を思うと読んでくれる人に対して敬意を表する文体の方が好ましいと思ったからだ。
ただ、今回のnoteについては、自分の書きたい事を書く、という思いがあるため、自分の中での"気づき"を文章の中心にしたいと考えた。
そうすると、自然と常体で書く方を選ぶこととなった。
敬体だと"伝える"文章になりがちなのは経験上感じている。自分の中での思いを"語る"文章を書くのであれば常体の方が書きやすい。
「読み手に伝えるための文章を書くつもりがないなら、noteで書かなくてもいいじゃん」と思う人もいると思うが、それは違う。人に読まれる場に置くことで、記事の内容を慎重に深く考えるようになる。
読んだ本のメモをとりたいわけじゃない。読んだ本を自分の知識や血や肉にしたいのだ。そのためには、自分のアウトプットの質を高める必要がある。
つまりは、自分が読み返すための記事を色んな人が目にすることのできる場に置くことで、ブラッシュアップするために、noteというツールを利用している事になる。
〜読書をテーマにした事〜
noteを書くテーマとして選んだのが「読書」だ。
特に理由はない。好きなことや趣味はいくつかあるけれど、「読書」についてのブログなどをやった事がなかったので、たまたま残ってただけだ。
読書自体、このnoteを書き始めるまでは、読書数が学生の頃と比べると格段に減っていた事もあり、アウトプットする事が動機になれば、読書数も増えるかなと思ったのも理由の一つだ。
とはいえ、読む本の種類はかなり変わった。学生時代はひたすら小説だったが、今は露骨に(!?)ビジネス本などを中心に読んでいる。
感情や想像力を養うなら小説の方が良いが、知識や思考力を養うならビジネス本や学術書の方が良い。最初はそんな理由でビジネス本や学術書を読み始めたが、今では頭が良くなりたいというよりも「自分を守るため」にそういった本を読んでいるのだと感じている。
単に理論武装をしたいとかそういう事ではない。「自分以外の人を理解する事が出来る」という事を実感しているのだ。
とある本で、自分には無かった考え方をしている人の文章を読むと、実際に同じような事を言っている別の人に会って話をした時に、その人の言葉の裏を理解・想像する事が出来る。
「対人関係のストレスは理解できない相手と対面した時に大きくなる」という事を何かで読んだが、まさしくその通りで読書のおかげで「相手が全く理解できない」という場面がかなり減ったように思えるのだ。
そうすると、日常においてのストレスが格段に少なくなる。そういう意味で「自分を守る」ために読書をしている。いろんな人の考え方や思考法を知りたいと思うのだ。
というわけで、読書ならびにnote執筆はこれからも続けていきたいと思っている。
今までと変わらない熱量で今後も続けていきますので、よろしくお願いします(最後は敬体で)。