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文理学部とは何だったのか 後編


 前編では、旧制高等学校の文理学部などへの改組まで述べました。後編ではその後の文理学部などの複合学部の消滅までを追っていきたいと思います。

多くを求めすぎた文理学部

 旧制高等学校を、独立した学部である法文学部と理学部などに、新制大学設置の時点で分離した大学では、大学の導入教育を行なう教養の部門を、旧制高等学校の一部を母体に、学内で別に設置しました。旧制帝国大学を母体とした新制大学で、旧制高等学校を母体とした教養を担当する分校が置かれたのと同様に、教養と専門の分離が、旧制度と同様になされたのです。
 それに対して、文理学部に移行した大学では、同一学部内で、全学の教養担当と文系・理系の専門の研究教育を纏めて行っていたので、大学が整備されるにつれて、専門学科が細分化し、学科内の研究分野が増大して、学部が肥大化してきました。
 当時は、教養学部的な文理の融合よりも、細分化された学問のそれぞれの発展の方に重点が置かれており、それぞれの学科の独立性が高くなり、様々な事を決定する場合に、学部内の統一した意志疎通が難しくなってきていました。
 この様に、大学の導入教育での教養教育の部門以外は、学科は分立した学部的な色彩を強く帯びてきました。その後、正式な教養部の設置が、教養分校などを別に設置していた大学で進むと、多くの文理学部も、それに合わせるかの様に導入教育に必要な部門を分立させて、教養部と専門学部へと分離していく事になりました。
 文理学部は、旧制高等学校の教養学的な教育を、大学での導入教育での一部でのみ教養部として受け継ぎ、学部自体は複数の専門学部に分離してしまいました。まだ学問分野の独立性が高かった時代に存在したのが不幸だったのでしょう。

文理学部の反省

 文理学部の分離は、学問分野の分立と独立が優先された、当時の学問の世界の状況を反映しているのでしょう。しかし、近年の文理融合などの学問間の融合などの、混沌として来た現代であれば、画一的な学部の分立ではない、別の発展の方法もあったのではないでしょうか?
 文理学部の分離という、旧制帝国大学である総合大学を最終形態として目指すべく、研究機関としての面を優先して、総合大学に似た学部を複数設置すると共に、教養教育を研究教育の組織でなく、大学の導入教育という教育のみの組織である教養部として分離した出来事について、今の私たちが学ぶ事は多いと思います。

文理学部の再生

 近年、総合大学でも、学環や学群という教育単位を別置して、各学部の協力により教育研究を行う組織が作られています。また、学部自体をシャッフルして、複数の学群や学域として再構築する大学もいくつか見られます。これこそ、戦後の大学で求められていた教養学的な研究教育組織の再来ではないでしょうか。
 多様性に富んでいる現代社会に有益な学問とは何かを、新たに構築する事を目指していく、これからの時代にとって、文理学部という学部が存在していたという出来事は、反面教師として学問分野と研究教育とのバランスをどう捉えるか、私たちに問いかけて居る様な気がします。   

                                                                                                        


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たこま
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