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東京学芸大学辟雍会について
表題写真は、東京学芸大学のキャンパス内のライトアップされた夜桜です。
三年前に以下のような記事を書いておりました。
先日母校のサイトをみていたところ、この辟雍(へきよう)会という大学の同窓会の会長に、忘れられない先生として取り上げた馬渕貞利先生が就任されているではないですか!
因みに、私が卒業した平成初期には、同窓会自体が組織化されておらず、
教職に就かなかったこともあり、同窓会が組織化されていた事を知ったのはつい最近のことです。
この会の名称の由来については、以下のように述べられています。
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辟雍(へきよう)の由来
「辟雍」とは古代中国における「大学」のことなのです。 周代といいますから、約3000年も前の古代です。大学に相当する機関は、東序(とうじょ)・瞽宗(こそう)・成均(せいきん)・上庠(じょうしょう)・辟雍(へきよう)の5つに分かれていました。そのなかで中央に位置していたのが「辟雍」です。それで後に辟雍が大学の代名詞として用いられるようにもなりました。辟雍は天子が学問を教えられたり、儀式を行なったりする場所であり、他の4つで音楽・舞い・礼儀などいわゆる六芸を教えたといいます。
「辟雍会」の名は、そんな故事にちなんで第一部中国文学の佐藤正光助教授が命名されました。大漢和辞典(諸橋轍次著・大修館書店)によれば、「辟」には57通りの意味があります。良い意味もあれば悪い意味もあります。中に「たま」というのがあり「璧に通ず」と述べられています。璧とは宝物のことです。「雍」にもやはり様々な意味がありますが、ここでは「睦む(むつむ)」という意味を採りたいと思います。
東京学芸大学の宝物は言うまでもなく卒業生です。また在校生や教職員の一人ひとり、つまり東京学芸大学に関わるすべての人間こそがかけがえのない宝物です。ですから「辟雍会」は、大学の宝物である多くの人たちが集まり「睦みあう」場であると考えられます。本来の意味は「明達諧和」とのことです。
『辟雍』創刊号(2004.10.30)より
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うーん、なかなか難しい解釈ですが、確かに、目的としての教職へと向かう学生と、実際の学問に触れて、教職とは違った道を模索する学生が、学問の府としての大学に集い切磋琢磨する姿を表現するには良い表現かも知れません。
一時期の教職に就ける卒業生が4割程度に落ち込んだ時期の卒業生が、全国のあらゆる職種にへと羽ばたいていっています。実際、野球の栗山英樹先輩を始め、教職以外の分野で、社会に貢献する著名な人々を多く輩出しています。中には私みたいに障害を負い、健常者のようには活動できていない人もいるかと思いますが、この辟雍会は、教職希望の学生へのフォローだけではなく、広範囲な卒業生を結びつけて、その叡智を集めて、一つの共同体として生産的な活動を行っていってくれることを期待しています。
今では文筆活動でしか貢献できない私ですが、馬渕会長の御恩に報いるためにも、少しでも在校生、卒業生すべての方に貢献すべく、細々ながら教員養成や学芸大学の特殊さ故の多様性の醸成に役に立つ記事を書いていこうと考えています。
昔の学芸大学のあれこれは以下の記事に執筆していますので、在学生の方は今との違いに、卒業生の方はこれあるあると昔を思い出していただければ幸いです。
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