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歯を光らせて、厳粛かつ潔く涎を垂らして(偽•日記21)

繁華街にいた。午前1時とかだった。腹の中ではキムチ鍋がやさしく蠢いていた。私は平置きのコインパーキングで時間を潰していた。すこしばかり、人を待っていなければならなかったのだ。タバコも吸い飽き、もってきた文庫本も読み終わってしまい、繁華街を散歩することにした。通りはさすがにコロナ前と比べると閑散とはしていたが、まあそれでもまだ人通りがあった。活気はないが。光が少ない。欲望たぎらせて歩む悪そうな大人がいない。暇そうなキャッチと、おのれの寿命が尽きかけていることをよく知っている若者たちのから騒ぎだけが立体で、あとはのっぺりとした背景だった。賢いネオンは早寝早起き、私はなんの目的もなく、汚い通りをねり歩いた。中途半端に電気の灯ったイルミネーションの、その光の無数の足がアスファルトのうえでスキーターラビットのステップを踏み、なげやりに人間どもをみおろしていた。

私はむかし働いていたスナックが潰れていないか確認しにいったあと、無駄に高い酒を飲んで騒がずに騒いでいる老人どもはどこにいったのだろうとおもった。スナックの店長の自慢は逮捕歴だけで、彼曰く私には才能があるとのことだった。なんの才能なのかきく気はなかったし、私は私の難儀な才能をすでによくわかっていたので、話を遮ってホールに出た。スナックでの仕事はまあまあ楽しかった。こういった風営法が適応される店に客としていったことはなかったが、最初から裏側をみてみるのも悪くはないのだろう。珍しく女性客がひとりで来た時のことが記憶に残っている。もう50歳は超えていただろうか、胸元の開いた服を着ていて、そこに蝶の刺青がとまっていた。いついれたんですか?と私はきいた。私もそのころ左手の裏側にLINEのQRコードの刺青を入れるか、もしくは背中からお腹にかけて唐獅子牡丹を入れようか迷っていた。その女性いわく、子供を産みひとりで育てていかねばならなくなった18歳のおり、決意と覚悟のために彫ったのだという。そのとき産んだ娘さんは、刺青入りの母親など嫌だといって家出してしまい消息が不明で、もう十数年は会っていないそうだ。私がつくったビールに女性の涙がぼたぼた零れ泡にいくつかの奈落をつくったとき、私はさすがにツッコミを入れることはできなかったし、いうべきでもなかっただろう。短い勤務期間だったが色んなエピソードを思い出せる職場だった。たいていはひどいものだけれど。

メインの通りから外れ、渋いバーやら実態のわからない何かしらの店舗が経ちならぶ路地に入った。よくここにあるラーメンを、ちょうどそのスナックの職を紹介してくれた子とよく食べにいったことをおもいだした。ラーメンを食べた数時間後に牛丼が食える子だった。あっぴろげでなんでもありの性格が潔く、東京にいってしまったのでたまにしか会えないが、ずっと友人でいたいといまだおもえる。路地の、室外機の上に女性がふたり座っていて、マッサージを必要としてはいないだろうか、ということをきかれた。私はマッサージを必要としていなかったし、そもそも生ぬるい極貧に喘いでいるので、財布をひらいて己の悲哀を示し謝った。客になりえぬことを悟ったらしく、そのあと中国語で何かをいっていたが、私は日本語しか、日本語すら危ういくらいなので、何をいっているのかはわからなかった。路地は行き止まり、なにもかもが潔い。

キムチ鍋のせいか、若干お腹がつらくなったので、トイレを探したのだが、時勢もあってかコンビニのトイレはどこも封鎖されていた。通りを往復している私を客と勘違いしてキャッチのお兄さんが立ち塞がった。私は素直にクソ&シットをしたいのですが、といった。キャッチのお兄さんは頷き、私をよくわからない路地まで導いた。
いや、申し訳ないですね。
いえいえ構いませんよ、俺らは"案内"するのが仕事なんですからね。
素晴らしい職業倫理をお持ちですね。
いえいえ、あたりまえのことです。
まったくしらないビルの、まったくしらないがわりと綺麗なトイレに案内してもらった。電球を盗むな!と張り紙がしてあった。用を終えたあと、入り口でタバコを吸って待ってくれていたキャッチのお兄さんに感謝を述べ、流れでとりあえず背中を追った。
どうですか、人がずいぶん少ないですね。
いやあ、最悪ですよ。
客が少ない?
それもありますけど、お客さんがたがね、こんな時勢にきてやってんだからキリまで下げろっていうわけですよ。まあできますがね、そうすると俺らが食えねえわけでね、まったく嫌になりますね。悪徳のね、時間ですよいまはね。これでしか食えねえんだからさ、嬢らも流石に心配して、おこぼれくれたりしてね、ははは。情けない話ですよ。ところでお客さんは? お店はいかない?
私は今夜そういったものは必要ないし、そもそもそういった店にはまず行かないのだと丁寧に断りをいれた。もし飲食店なら今度利用させてもらうよ、と名刺だけもらった。
へえ、好きそうな見た目してますけどね、お客さん。
心外だったが、まあ確かに私はそういう見た目はしているのかもしれなかった。
ところでね、とキャッチがいった。こっちですよ、ほら。
こっちなのか、とおもい、私は彼の向かった路地についていった。
あまり見知らぬ通りだった。ホームレスの一団が猫を吸っていた。猫は、わりと大きく3メートル近くはあった。オスの汚い三毛猫で、尻尾先で政治家が首をくくろうとしており、それをケシの実の店長と法衣を着たラビが必死に止めようとしていた。あまり見知らぬ通りだな、とおもった。私とキャッチはその通りにあるビルの一室に向かった。偽大理石のテーブルがあり、そこに手巻き用のタバコ葉が散らばっており、よくみるとチェ・ゲバラの顔が俯瞰した時に現れるように配置されているようだった。
これ、銘柄はやはり”チェ”なんですか?
いいえ、ブラックデビルです。
どうりで最低に甘い匂いがするわけである。
ここで働きなさい、とキャッチはいった。
どういう理屈ですか、ときくと、我々の仕事は"案内"することですから、といわれ、なるほどかなり納得してしまった。
私は甘すぎる匂いにくらくらしつつパイプ椅子に座って、客を待った。
30分ほどすると、扉がひらき客がはいってきた。
よろしくお願いします、と私は一応いった。さすがにこういう事態になると、ある程度社会人経験があって良かったとおもえる。
お客様は3本ある首のうち一つを下げると、すぐに部屋に備え付けてある革ジャンに肩を通した。おそらく肩なのだろうとおもった。喉が渇いた、というので私は冷蔵庫からボーリング玉を取り出して足元に転がした。びりりと15本の足から電流が流れ、お客様はふうとため息をついた。さっそく私は仕事に取り掛かった。お客様の頭に突き刺さっているハンターハンターのイルミ(変装時)に刺しているでけえピンを一本ずつ抜いていき、その穴にガムシロップと塩胡椒を混ぜたものをふりかけ、聖書のマタイあたりのページ30%、聖歌70%の紙屑に遠火で火をつけてお客様の鼻先にもっていった。そのあとお客様の手を私の顔に押し込みながら、ドン・キホーテのテーマソングを歌い、わりと早くお客様がwifiルーターを右手の爪からだしたので、洗濯物に繋いだ。お客様は満足したようだった。ひどい顔だった。歯を光らせて、男性用シェイバーのCMにでてくる犬のような笑顔をしていた。私は楽譜を見返した。”厳粛かつ潔く涎を垂らして”とあったので、可能な限りの暴力をお客様に提示し、断られたので厳粛かつ潔く涎を垂らして、あうあうといってみた。そして、ピピピピピとチェ・ゲバラが終わりの時間を示したので、私は時間ですといった。
そのあと私は映画二本分のアクションシーンをこなし脱走した後、こうしてここに帰ってきた。人間も、動物も、怪物もくだらない、とパソコンのディスプレイにいった。そしておまえもだ、と自室の機械類をすべて砕いて回った。アレクサの悲鳴を私はきかないふりでやり過ごし、そういうわけでここローマの地で私は一本の木になった、一本のセコイヤデンドロンの木に、あなたの唇が打ったひと息の、その思考のない無垢に揺れる、美しい一本のセコイヤデンドロンの木になったのです。どうか、私の根の下に、その清められた土に、あなたの骨をあなたの手で埋めてください。そのために、私はこうしてセコイヤデンドロンの木になったのですから。


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