大リーグボールとは何だったのか
巨人の星という作品において展開の要となるのが、大リーグボールと呼ばれる変化球群である。昨今のリアル志向のスポーツマンガと違って、かつてのマンガにおいては、いかに荒唐無稽の誹りを受けようとも、この種のいわゆる必殺技と呼ばれるギミックはきわめて重要な位置を占めていた。七十年代くらいまでは、こういった趣向はほとんど必然とまで思われていた。したがって大リーグボールも、いくつもあるそのようなギミックの一例でしかないと考える人も多いだろう。ところがこの三つの大リーグボールは、それら亜種とは大きく異なる、ほとんど特異とさえ言える性質を備えているのである。
そもそも野球においてピッチャーの投ずる変化球とはなにか?作中の新聞記者が述べているように、打者のタイミングを外して空振りさせることを目的としたものだ。カーブ・シュート・フォーク等の変化球はすべてそのために存在している。虚構のなかの変化球、たとえばちかいの魔球に登場するいわゆる”魔球”も、スピードの緩急とコースの変化によって多くのバッターを三振に打ち取っている。であるがゆえに、どのような変化球であっても、原則としてストライクコースに投げ込まなくては意味がない。打者からすればボール球をわざわざ打つ必要はないからである。つまり、あらゆる変化球は、ストライクコースに投げ込まれたボールをいかに打者が打ち込むか、という勝負になってくるわけだ。変化球のみならず速球であっても、そもそも野球というスポーツそのものがそういう仕組みになっているのである。
ところが大リーグボール1号はストライクコースには飛んでこない。打者が構えたバットに命中させてイージーフライにするか内野ゴロにするかして、無理矢理アウトにする。どういうことか。投手がストライクゾーンに投げ込む打ちづらいボールを打者が何とかして打ち返す。これが通常の野球の勝負だとすると、大リーグボールとは、驚いたことに「打者に野球をさせない」魔球なのである。
大リーグボール2号はどうか。これは1号とは違って一応はストライクゾーンを通過する。ところがこのボールは、まず打者のバットがとどかないギリギリのところで“消失”し、振り遅れるしかないホームベース上に出現する。打ちようがないのである。この魔球のテーマも“打者に野球をさせない”ことなのだ。
最後にして究極の魔球・大リーグボール3号は、きわめて打ちやすいスピードの、きちんとストライクゾーンに入ってくるタマである。打者であれば、こぞって絶好球とばかりに打ちにくる。ところがこのボール、打者のスイングが強ければ強いほど、その風圧によってボールが流され、ジャストミートできないという仕組みになっている。優れた打者であればあるほど、ますます打ちづらいボールとなってしまうのだ。
かくのごとく、すべての大リーグボールは打者に野球をさせないことを目的としている。何故か。主人公・星飛雄馬の投げるボールは球質が軽い。打たれればすべてが長打、ないしはホームランになってしまう。しかもその原因たるや、彼の体重がプロ野球選手としては軽すぎるからだというのである。自分ではどうしようもない理由。努力しても改善のしようがない。つまり彼は、普通の投手として普通に打者と勝負したら100パーセント敗北が決定しているのである。それでもなお彼がプロ野球選手としてやっていこうとしたら、“巨人の星”を目指すのならば。相手バッターに野球をさせない以外の方法はないのだ。
だから大リーグボールの打倒策は、すべてこれら特異魔球を通常のボールに引き戻すことを目的とする。1号はど真ん中に呼び込むことで打ち果されるし、2号はボールを隠す異物を取り払うことが目指される。3号を打倒するためにバッターはわざわざ肉体を疲弊させてスイングから風力を奪う。
大リーグボールとは、そもそも前提からしてマイナスである主人公がどうにか人並に戦うために必要な装置であり、物語の構造上から、最終的には破られてもとのマイナスに戻ってしまうことがあらかじめ定められた、哀しみに満ちた魔球なのである。星飛雄馬が最後に左腕を破壊して野球から去っていくのは、悲劇のようにみえて、あらかじめ敗北を決定づけられた終わりのないゲームから解放された、ある種の救済なのだ。