ビビルマン不遇明

 永井豪作「あばしり一家」には、仮面ライダーや宇宙猿人ゴリなど当時の人気作をネタにしたパロディがいくつか描かれているのだが、その白眉といえるのが、作者本人が同時進行させていた「デビルマン」のパロディ「ビビルマン」である。よく知られていることだが、デビルマンという作品はテレビアニメ版と雑誌連載版ではまったく設定が異なっていて、キャラクターの名前こそ同一だが、いっそ別作品と言ってしまったほうがわかりやすい程、印象が異なっている。そしてこのビビルマンは、デザイン的にはテレビ版の方をパロディにしたものである。とは言え、デビルマンという作品は、SFバイオレンスアクションものの元祖にして最高傑作という評価の定まった名作であって、のちの作家がパロディにするのならともかく、いまだ連載継続中の作者自身がネタにするというのは、空前絶後のことであった。

もしも、このビビルマンなるキャラクターが存在しなかったと仮定しよう。そしてかりに後の作家が、きわめてシリアスな、当人にとって代表作となるような作品を執筆中に、その作家自身がその作品のパロディを発表したならば、ファンの人たちはびっくりして、こう言うかもしれない。「まるでデビルマンを描いてる途中の永井豪自身がデビルマンのギャグパロディを描いたみたいだ」と。でもそれ、もうやられちゃってたのである。

永井豪のこの行為をなにかに例えることはきわめて難しい。
「あしたのジョー執筆中にちばてつやが赤塚不二夫のあたしのジョーみたいな作品を描いていた。」
「サイボーグ009執筆中に石森章太郎が唐沢なをきのサイボーグOS9みたいな作品を描いていた。」
どうも今一つインパクトに乏しい。デビルマン執筆中に永井豪がセルフパロディを描いたということの凄さには到底及ぶべくもない。

そもそも不遇明というネーミングが素晴らしい。元ネタをもじった結果はいろいろあるなかで最高傑作といってもいい出来である。それが作者本人によって成されている点も最高である。そして変身したビビルマンは、登場こそハデだが、あっという間にデーモン一族ならぬゴーモン一族にやられてしまい、(おそらくは存在しないであろう)ビビル二世に後を託して堕ちていくのである。不遇の名に恥じることのない展開。いわゆるひとつの出オチである。この潔さはどうだ。

余談だが、ネオデビルマンシリーズは、綺羅星のごとき一流作家たちがこの名作に敬意を払って、パロディならぬオマージュを捧げていたなか、ただ一人安彦良和だけが、心の底からふざけきった冗談パロディを描いていたが、あれはいかなる意図によるものだったのか。だれか止める人はいなかったのか。まあ原作者は意外と喜んだかもしれないが。

ちなみにこれはすでに50年前の出来事である。この時期、すでにマンガ表現はひとつのピークを迎えていたという意見を言ったひとがいたが、あながち的外れでもないと思えるひとつの事例であるように思う。

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