打倒消える魔球・星一徹の「失敗」
巨人の星という作品において、とくに後半の部分では3つの大リーグボールと呼ばれる変化球をめぐる攻防がストーリー展開の大きな柱となっている。これを分析するだけでいろいろと面白いことがわかるのだが、今回述べるのはある失敗についてである。もしも消える魔球なるものがなんなのか知らずにこの文章をお読みになるかたがいたとしたら、地面すれすれにボールが飛んでいくために土埃が舞い上がって、それでボールが消えたように見える、程度の認識で大丈夫です。実際にはその何倍も複雑な理屈が付けられているのですが、この場合それは関係ありません。
さて星飛雄馬の必殺兵器である大リーグボール2号・いわゆる消える魔球は、最終的には阪神タイガースの花形満によって打倒されるのだが、その試合の前に中日ドラゴンズ星一徹コーチ・伴宙太コンピによる“失敗”エピソードが描かれている。消える魔球対策を講じている自分たちに星投手のリリーフはない、と予想した一徹は、まず飛雄馬をマウンドに引っ張りだす策を練る。これはなかなかによく考えられた作戦である。
かれが消える魔球の打倒策として考案したのは、
1.まずランナーをためて、ゲッツーを取るためのワンポイントリリーフとして飛雄馬を引っ張り出す。これは打者を凡打にとる魔球・大リーグボール1号が使われることを想定したものである。
2.大リーグボール1号を防ぎながら伴を転倒させてホームプレート前の地面を固める。
3.消える魔球を投げてきても土煙が立たないからボールが消えない。
4.打つ。
というものだったのだが、これが失敗に終わる。星投手が消える魔球を投げてくるにしても、最初は様子見で外角はずれのボールから入ってくるというところまで星コーチはあらかじめ想定していたが、そこでサインを出し違えて、伴に打て、とサインをおくってしまったというのだ。
なぜそこでサイン間違いを犯したのか、一徹は伴にのみその事情を語る。じつはこのエピソード全体はその事情・心情を描くことこそが肝なのである。それについてもいくらか思うところはあるのだが、それは感情によるもので技術的なものではなく、本論とは直接の関係はないのであえて言及はしない。星一徹というキャラクターが息子に対して持っている感情は極めて複雑なものであって、なかなか軽々には語れないものがある。いま私が問題にしたいのは、消える魔球を投げるにしてもはじめはボールでさぐりを入れてくるところまで読んでいた、という件である。これ、よく考えるとおかしくないか。
投ぜられた消える魔球は消えなかった。そして“打て”というサインを視認した伴は当然それを打つのだが、そもそも外角はずれのボール球であったためにピッチャーフライに終わった。ここで打て、のサインを間違えて出してしまったことのみが失敗の原因であったという説明を誰も疑問には思わなかったのだが、もしもここで伴が「打たなかった」としたらどうか。相手の策がすべて明らかになってしまったのだから、プレート前の土を審判にかきならしてもらって再びボールが消えるようにするか、あるいは他の手を考えるか、なんにしてもそのまま消える魔球は投げてこない。すなわちサイン間違いが無くてもこの策ははじめから成立していないのである。
最終的な失敗に至るまでのプロセスがあまりにも複雑であったために、この瑕瑾には初見時にはもちろんのこと、その後何度読み返しても気付かなかった。ただ、いちおう断っておくが、多少の矛盾があるにしても、巨人の星という作品は、発表当時は言うまでもなく、現在においてもきわめて緻密にストーリー展開が構築された比類なき名作であるという認識は揺るがない。
あえて言えば、こういった点にかなり後の段階まで気づかせずに読ませるというのも名作たる所以だと言える。ただ、この間違いは意外と気付かれていないように思われるため、ここに書き留めておく次第である。