ブランドの格式と価格の難しい関係
※この記事は2019年9月に執筆した記事の再加筆記事となります。
大塚家具に終幕が見え始めました。
報道では"無策な経営"と久美子社長をバッシングする記事が散見されます。
当初こそ「言い過ぎなのでは?」と感じていましたが、記事の内容通りだとすれば株主・社員を始めとするステークホルダー(利害関係者)の財布に穴を空けてしまっており、これを全て環境要因とするのは流石に無理があるかな〜と思います。
経営者に限らず、仕事をする人間の手腕は基本的に結果ありきだと思います。
頑張ったプロセスが評価されるのであれば、例えば美容室でいきなりアフロヘアになっても美容師さんが頑張っていたのであれば許されます。
でもそういうことではないので、やはり仕事では結果が大切です。
反面、結果だけを見てバッシングすることは若干フェアでないなとは思う部分もあります。
株主はそもそも前社長(久美子社長の父)とのプロキシーファイト(株主からの委任状争奪戦)で久美子社長を選んでいるわけなので、責任の一切が無いとは言えません。
もちろん経営の責任は経営者にありますが、任命した責任だって株主にもあるのではないのかな〜と思うのです。
とはいえその責任を財布の穴でとっているのかもしれないですね、であればその穴は因果応報かもしれません。
大塚家具の現状は前社長とのプロキシーファイトに端を発しています。
当時は久美子社長が推し進める高級路線から間口を広くしていく方針は誤りではないと思って見ていましたし、むしろ前社長の態度は憮然として見えていました。
会社の未来を憂いて危機感を持って細やかに株主へ連絡を取る久美子社長の姿は健気に見えました。
今にして思えば、前社長の"何もしない"という対応は最善策ではないにしても、悪くない選択だったのかも知れません。
"高級ブランド家具を扱う社長が娘とのプロキシーファイトでセコセコ根回しを行っている"というのは、結果がどうであれ会社のブランドイメージを悪くする懸念もあるからです。
個人的にはあまり良いイメージがありませんでしたが、憮然として見えた態度も泰然自若としていた、ということだったのかも知れません。
経営判断は難しいですね。
結果として前社長ではなく久美子社長が支持を得て、経営権を奪取しています。
(よくよく考えればプロキシーファイトに発展させてまで会社の方針を変えようと奔走し、経営権を奪取したことは久美子社長の手腕と言えます)
その後、大塚家具は庶民派になりきれず高級ブランドの格を落としてしまいました。
庶民派の家具といえばニトリや無印が競合相手となりますが、値段設定が下がり切っておらず、高級家具としてのレンジでも庶民派としてのレンジでもない範囲になってしまっていた様に見えます。
あくまで個人の意見ですが、以前は大塚家具の通販ページを見ると、手の届かない高級品を眺めるドキドキ感があって、見ているだけで楽しめました。
しかし現在は非日常とも言い難く、かといって気軽には手が届かない家具が多くなりました。
価格で下がってしまった格により魅力がスポイルされてるのかな?と思います。
とるべきだった策としてはブランドそのものの変革ではなく、ジェネリックブランドを別路線で持つべきだったのかな?とも思います。
高級家具で培ったノウハウを一般価格の家具で発揮して”普通の家具でもこんなラクジュアリーなインテリアにできるんですよ”という形なら、最悪コケてもジェネリックブランドを切り離すことができるし、元ブランドへの影響は少なく済んだかと思います。
大塚家具を牽引していたカリスマは前社長だったので、子会社などによってジェネリックブランドを久美子社長が立ち上げて進めていく未来もあったかも知れません。
難しいところですが、船場吉兆でも高級路線を一般に引き下げて失敗した例がありました。
この辺りはブランドに対する影響を計りにくい、経営手腕を問われるセンシティブな舵取りなのかも知れません。