初めて狂信者にあった話
私は宗教に対して偏見も持たなければ、自分が特定の宗教を信仰しようとは思わない。旅先で教会があれば中に入り、神社仏閣があれば中を拝見し、モスクがあれば見学をする。至って普通の旅行者である。もちろん神聖な場であるのはどこでも変わらないので、一定の敬意をもって拝観する所存だ。
日常生活において、誰が何の宗教を信仰していようと生活には害がないので否定する気も肯定する気もなかった。
狂信者に会うその日までは、誰が何の宗教を信仰していても恐怖を感じなかった。国によって様々な慣習があるのは当然だと思っていた。
しかし、生まれて初めて狂信者に会ったのである。
彼のボキャブラリーは非常に偏っている。正直聞くに耐えない。教義を押し付けがましく説明するその姿にこの人は洗脳を受けたんだなと確信した。
だがしかし、お前の頭バグってんなとか、可哀想だなとか正直怖くて言えない。
幼い頃に受けた教育という名の洗脳にて得た知識を教えてくれるのである。
懇切丁寧に説明してくれる姿に対し、そうなんだスゴいね!と相槌打つのも大変である。
幼い頃から経典を丸暗記させる教育を受け、お祈りを決まった時間に行う。これは別に良い。どうでも良い。
男は金を稼ぎ、女は家を守る、男女平等を推進している日本では到底受け入れ難い宗教であると思う。
世界史を見てみると豊臣秀吉が他宗教を排斥したのは英断だったと思わざるを得ない。豊臣秀吉は日本国民が西洋で奴隷にされるのを見てそれを不愉快に思ったという。歴史的観点からみても、宗教は文化を広める一つの手段である。
彼らは自分達の教義を普及させる為、結婚相手を改宗させる。彼らの経典に掲載されている特定の宗教でない限り結婚することが許されない。仏教徒は不可。
私があった狂信者は独身である。彼は初対面の挨拶で相手の年齢を聞き、結婚しているのかを確認する。
私は未婚者である。いい年齢をしていて結婚していない、その姿を見て疑問に思ったのか、結婚しないのかと聞いてきた。初対面の挨拶では非常にバグっている会話である。
あなたは結婚しているのか?と聞き返すと、宗教上の理由で家族が認めた相手じゃないと結婚ができないそうだ。交際ではない。彼の場合は交際と言う単語はなく、即結婚しなくてはデート及び性交渉はできないとのことである。
彼は以前の見合いを相手方から袖にされたらしい。
もちろん彼は童貞である。それは大したことではない。
宗教家との会話は世界のどこに行ってもめんどくさいのは常識である。しかしながら私は基本的にめんどくさい宗教家に会ったことはなかった。どの国で生まれたとしても優しい人ばかりだった。彼らは教典に対し疑問を持つことを許されない。普通の人間であれば今日天気がいいねーから始まる日常会話が、豪速球の変化球に変わる。
私のLINEアイコンは犬である。彼の宗教では犬は穢れた生き物らしい。それを言う必要があるのか耳を疑った。
私は柴犬を20年間飼っていた。正直不快だった。
彼の信仰より私は私が飼っていた愛犬の方が大事だ。
彼はこの国の人間はレイシストだと言い放っていた。
しかし私が思うのは外国人が最初の会話で宗教の会話されたら警戒するというのは至極当然起こり得る話だと思う。
彼は彼の神を信仰する前に、一般常識を勉強した方がいいと思った。
彼が日本に来た時も似たようなことが彼に降りかかると思う。
自分で考えることを放棄した人間はこうなるのかとしみじみ思ったものである。上手な宗教家であれば、初対面の場合はいい人を演じ、時間をかけて布教する物だと思うのだが、宗教家として活動している人はどうか教えてほしい。
今回の件において、私はこの宗教がヤバい!とかいうつもりは微塵もない。
人によっては心の拠り所として役に立つものだと個人的には思っている。
ただ人に思想を押し付ける人間にはなりたくないと再び誓った一日なのであった。