O. Y.
皮膚呼吸、すって吐いてを繰り返し、微細な空気の粒子と触れ合ううちに、感じとるあらゆる些細な、硝子の破片みたいな。小さな小さな心の引っかかりは、サラサラと流れ去ってゆく。誰も救っちゃくれないよ。今日もまったく言葉が重い。思うように流れてくれない。つやつやの丸々太った白い幼虫が吐きだす繭玉の糸は、ふわふわとした絹のにこげをただよわせて、シューっと虚空にひきこまれてゆく。細い糸の描く軌道は、そのまんま、とおくとおく、星の最果てまでいってしまいそうで、なんだか寂しい。ちっぽけなひゅー
最寄りの駅のプラットホームに鏡がある。エスカレーターを降りて、ちょうど、各駅の2号車と3号車の停車位置の真ん中らへん。少し歪んでいて、慎重154cmの顔の高さに壁に貼り付けてある。屋外にある分の汚れがついているので、肌がちょうどいい具合に綺麗にうつる。この鏡はいつのまにかあって、確か、高校生の頃には、顔を写すのに使っていた。髪が崩れてないかしら、惚けた顔をしてないかしら。自意識高め系の私はプラットホームに降りるたびに、この鏡を覗き込む。各駅の2号者と3号車の真ん中らへん、歩行
こもれびの、さらにうわずみの、庭に植えられた桜の木々のわずかに上を、白い蝶々たちがひらひらと舞っている。街にある手入れされた樹木というのは、きちんと高さが切り揃えられているもんだから、上から眺めるとちょっとした草地みたいになっているの。 マンションの5階のさびれた部屋で、明るい方に不意に目をやると、そんな天国模様が目に入る。 草の葉の先で遊ぶように、蝶々たちはふわふわとやる。たぶん、若い芽ってのはいい香りがするもんだから、まるで甘い空気の塊の上をなでるようにめで味わってい
はるか彼方の遠野のはざまー四月の光差し込む下層の底を、歩むことだけ願ううちに、今年の春は過ぎてしまった。青々とした若葉の恨めしさ。みんな、僕を置いていって、生き生きとした生気を吐いて、季節を前に進めてしまう。赤く咲いたツツジのそばの、枯葉の残る小さな木陰。そこで小さく丸くなって、日がな道ゆく人を眺め、青い匂いの空気をねたみ、虫の羽音を肌でたどる。サンダルにたかる小さなアリたち。アケビのつるは雲に絡まり、青々とした桜の新緑、木漏れ日のさす皐月の下層ーアスファルトは、干からびてい
混乱という言葉は 面白いと思う 混ざって、乱れて なんだか大変 こんらん、こんらん 唱えるたびに コーヒーに注ぐ ミルクが浮かぶ ほら、あれ、英語の Confuseも液体でしょう? =con(一緒)+fuse(注ぐ) 気がつけば、さんずいを使い 思考を流し 頭の中を巡るものは たぶん、あれ。 想いであれ過去であれ かなたから来た 水だと思う
味噌汁のしいたけは、ナメクジにそっくり。お好みもんじゃが、吐瀉物みたい。だから、あんこの奥底にはうんこの本性がいらっしゃると、私は心から確信する。 ある日、家庭教師で姪に勉強を教えているおり、 あんころ餅、うんころ餅、あははっはは。と戯けて唄ってみせた。 姪は気が狂ったように笑ってくれて、分かり合えたかと思った瞬間、いや、あんこはうんこではないと言い放った。 あんことうんこは一心同体。それは、天と地が2つにわかれ、地球の水がいつもどこかで混ざり合い、たゆたんでいるのと
ーあるいは旅の備忘録、3月の真鶴にて 汽車に乗って、とおくの町に赴くのはよいことだと、朔太郎さんはお書きになられた。彼は、たぶん、あの青白いお顔で、寂れた農家の裏山の墓の中の蛙の事なんかを考えながら、流れ行く景色を眺めていたんじゃないかしら。 ー東海道線を乗り継ぎ揺られながら、わたしは「猫町」の頁をめくってみる。 ボドワール夫人を死に追いやった猫の影ーガラスの町の住人に化けてた猫たちー 夫人のこめかみから流れ落ちる血ー たぶん、猫は心の奥に眠る本性だろう。あの人にとっ
どぼんと、水に潜るのは、あまりに苦しいことなので、覚悟の決まらないわたくしは、ここまで、筆を取らずにきてしまった。なんとなく。逃げるが勝ちの世の中ですから、そういう事があってもいいと思う。のどかな光の中、煙る空気は、ゆるんだ春の池の底のようで。柔らかな土の中で丸々としたヤゴが蠢いている。生き物の吐息でやわら濁る水を、がばがばのむだけのんで、呑みこまれ、そのまんま、呆けていたい。午後の2時46分 わたしは、目を伏せ沈黙する。かつてあの時に思いをはせつつ、まざまざと蘇るのは、ヒ
用もなくマスクをして歩いている人を、和製ミッフィーと呼んでいる。最近見かける黒いマスクの人、あれは和製黒ミッフィー。 マスクというのは、絆創膏みたいで。あの人たちの口元は、きっとミッフィーみたいに×担っているに違いない。マスクで絆創膏をして、×の口を隠している。 ミッフィーがかわいいのはね、それは口が×だからよ。×だから何も言わない。口を開く輩は大嫌い。口答えして、はむかって。思うとおりにならなくて、私のことをぐちゃくちゃにする。瓦礫の山だ、破壊だ、荒野だ。何にもなくて無
あれは何だろう。そこだけぽっと陽が差して、なんだか温かそうだ。ちいさなチリがふわふわと舞って、きっといい香りがする。 ああ、これは日だまりだ。足元を緑が覆い、黄色の可憐なタンポポ、ハコベラ、オオイヌノフグリ。木漏れ日の作り出すギザギザの斑紋が、きやきやしている。 野太い脚がみえた。 光と影のフラクタルを身にまとって、まり子さんが踊っている。短く生えた芝をむしりとって、雄たけびをあげながら。四つん這いになって飛び跳ねて、ふわふわと舞う蝶を追いかけている。薄汚れたスカートの
ちかと僕は同じ研究室にいた。彼女は僕の3つ後輩だった。 初めて一緒に大学の帰り道を歩いた日。白い肌に切りそろえられた栗色の髪がかかって、赤らんだ頬にえくぼがあった。 あの日から久しい。僕らの研究室はもうない。教授の退職を機に彼女は研究を辞めてしまって、今は図書館で非常勤をしている。 僕は大学に残った。なんとか常勤の職をえて、生活を安定させられるようになった。 教養主義は失墜した。古典的な学問をやっている者は、理系であろうと文系であろうと軽んじられる。実用一辺倒だ。企業
まりこさんがいなくなったんだって。 灰色の空をみあげながら、彼がそう教えてくれた。わたしは、まだ、帽子を渡せてない。まり子さんの頭の上で大文字山を眺める夢は、なんだか簡単についえてしまった。 冬至を過ぎたばかりなのに。幸先が悪い気がして、すこし気持ちがざわざする。 これから、光の時間が少しずつ長くなる。空はまだ虚ろだけど、年月の大きな車輪はまわりだしている。一度動き始めたら、私たちにできることなんて、これっぽっちもない。 「なにがあったの?あの人は大学のご神体みたいな
ねぇ、明日、君がいなくなったら 世界はどうかわるんだい? ぼくは、今、白い頁をにらみながら ない答えを考えている 夜明けの先に まっている、明日。 薄氷をちりばめたアパートの屋上に、 山の裾野から 光がはじけ、 断片みたいな 霜を照らし、 何かと何かが 砕け散る 答えなんて何もないんだ。 全てを抱え込んでいるハズの明日に なんの意味もないように。 ウルルとハララは空を駆け カマキリは草の裏に卵を産んで、 冬のはじまりに消えていった― ぼくらの流したたくさんの涙は
私の脳みそは、入れ物みたいにぱっかりと割れるんです。その中で小さな白っぽい宇宙人さんがハンドル握って操作してるの。 そんな真実を直感したとき、私はコカ・コーラの缶を思いっきり蹴っ飛ばして、アスファルトの道を力一杯駆け抜け、 そして、勢いあまってすっ転んだ。 小学校低学年だったあの日。血のにじんだ擦り傷がジンジンと沁みた、あの日。心をジクジクさせて、今、私はほろ苦い思い出をかみしめる。 宇宙人は、自分の操る機体の間抜けな失態を無視して、何もなかったように振舞っていた。あ
まり子さんへ あの門をくぐり、初めてあなたと出会った時、野性味ある雄々しい姿に私は一目でホレてしまいました。薄暗がりにシルエットを作っていらっしゃったあなたはドキドキしながら脇を通る私に、セヤぇっ!セ!! と声をかけられましたね。 おっしゃっている言葉の意味は皆目見当つかなかったけれど、あなたの姿が心から消えません。後日、あなたは京都大学界隈で大変有名な方だと伺いしました。 ここのところ、寒さが厳しくなってきましたね。あの夏の日、あなたは黒光りした髪をぴたんと地肌にくっ
ある朝の通勤電車。私はうっかり気づいてしまった。実は金魚の一匹であることに。 揺れる車内でスマートフォンをペタペタと触り、冷たい文字盤をのぞいていると、ほんの少しだけ息継ぎしている気持ちになって、私はいつも和金になってしまう。紙のように薄い口をパクパクさせながら、頭上にごくわずかな水面から上の世界を眺めつつ、電車に揺られるたぷたぷの水を、あゝこれはいつもより少しぬるい水だななんて、感じてみたりする。 ゲートが開き、一斉にプラットホームになだれ込む。一生懸命流れに乗って、大