話せるようになったので話しておきたい話
コロナ全盛時代
の2020年、私はある症状に悩んでた。
ゴリゴリの不眠症である。
コロナとか関係なく、実は3年くらい悩んでいたのだが、放置していても当然良化はせず、悪化する一方で、最終的には3日に1回寝れればよく、仕事にも当然支障をきたしていた。
そして、知人にあるクリニックを紹介してもらう。
そのクリニックは初診お断り無しで、ネットで簡単に予約できた。
心療内科、クリニックは非常に初診のハードルが高く、1ヶ月の予約枠に限りがあり、しかも予約受け付けてから即埋まるなんて事はザラであるので、このシステムは非常に助かった。
そして、そのクリニックは、仕事といったらそれまでだけど、先生は非常に真摯に話を聞いてくれ、カウンセリングをうけ、色々見てもらった。
うつ病だった
休職するかどうかのところまで来ていたが、お金はいるし、休むわけにはいかなかった。
入眠剤、抗うつ剤を処方してもらい、定期的に話を聞いてもらい、だいぶ改善していき、普通に生活できるようになってきた
先生は本当に助けられ、恩人と言える存在だった
そして、翌日の土曜日にクリニックに行こうとしていた
2021年12月17日
クリニックが放火にあった
そう、私が通っていたクリニックは
全国的にもニュースになった
西梅田こころとからだのクリニックで
診ていただいていたのは院長先生
私は恩人を殺された
被害にあった、事務のアルバイトの女性(学生?)たちや、患者の中にも多分顔を合わせたことのある人も数人いるのだろう。
そして、事件が翌日であれば私が殺されていたかもしれないという事実。
当然また寝れなくなった。
そして症状は前回よりひどくなり、強迫観念などで人とも話せなくなった。
助けられたもの1
そんな状況でも、生活があるから仕事をしないといけない
コロナというのもあるし、仕事柄、在宅勤務でもあまり困らないというのは非常に助かった。
その日も普通にニュースをつけて、
仕事を始めたのに、なぜかテレビをつけっぱなしにしてしまっていた。
そして、ラヴィットが始まった
サンボマスターの軽快な音楽で始まり、
オープニングを数十分行い、
ニューヨークが男性ブランコ平井の引越し先を探していた。
死ぬほど笑い、なぜか泣いていた。
まだ自分って笑えるんだなって思わされた。
その日は仕事中にラヴィットをフルに見たという罪悪感から、年休で申請を出した(笑)
そこから、毎日ラヴィットを録画し、
仕事終わりだったり、仕事中のBGMとして流すようになった。
そして、毎日笑って、気が楽になった。
その後、急性胆嚢炎で入院したとき、
まだコロナで誰も面会に来れない時期だったのでも、朝ラヴィットがやってるし〜!で助けられた。
そう、私はラヴィットに救われた。
ラヴィットロックも、2年ともリアタイでライブ映像を見て、見逃し配信を3回見て、今年はディレクターズカットも3回見た。
兎さんは、音声無しでも死ぬほど面白かった。

TBSショップで定期的にラヴィットグッズを買い、本棚にコーナーを作った。これからも増えていく予定である。
助けられたもの2
とはいえ、気持ちは楽になったのだが、
不眠症は治るわけではない
そんな中、前と同じようにネット予約だけで初診が受けれるクリニックが見つかり、これまた同様先生が親身に聞いてくれるクリニックだった。
ただ、無心に楽しめるものが見つからず、平日以外は暇を持て余していた。これがメンタルにはいけないらしい。
そして、そういえばドラクエ10オフライン楽しかったなー、オンラインもやってみようかな……
となる。
もうそこからはどハマりで、バカみたいにやる日々である。その流れから、他のゲームもちょこちょこ再開するようになった。
たかがゲーム、されどゲームである。
無心で楽しめるものがあると、メンタルは晴れていく。
そして、昨日入眠剤、お酒を飲むことなく寝れるようになった。
実にいつの間にか記憶を失っていた日を除くと、5年ぶりの事である。
ラヴィットとドラクエ10に助けられ、なんとか今も生きれてますということをこの機会に書いておきたかった。
雑文ですいませんが、こんな感じ。
ラヴィット愛の詳細はまたいつか別の機会に。