人類学的フィールドワークを振り返って
2024年のGW最初の2日間に、福岡県糸島市で開催された人類学のフィールドワークに参加してきた。
様々なものを見聞きして「学び深いな」とか「いい体験だったな」と思うことはよくあるが、大抵すぐに忘れてしまう。今回の経験はそうしたくなかったので、参加した経緯も合わせてまとめてみる。そして、発信が大事だと思いつつ普段全くできていないので、これを読んだどなたかが何かを考えるきっかけになったらと期待して、noteで公開する。
参加した経緯
かねてより「論理的に考えれば同じ考えに至る」とか「話し合えば分かりあえる」といったようなアンコンシャスバイアスを持って生きてきた。プライベートでも仕事でも、それでうまくいったり、共感してくれる人がいたりすることもあったが、振り返ってみると傷ついたり、悲しい気持ちになったりすることの方が多かったように思う。
また、2年半ほど所属企業の組織風土改革に取り組んできたが、残念ながら行動に移してくれる人はまだとても少ない。会社にも従業員のみんなにも資することだと考え、言語化し伝えてきたが、まだ相手を理解できていなかったり、伝え方が拙かったり、そもそも問いの立て方も解決法もずれていたりするのだろう。
そんなことがあり、メタ認知と自己変容を促す実践的アプローチとして文化人類学に興味を持ち始めたころ、いつもお世話になっているNTTコミュニケーションズの福嶋さんから、今回のフィールドワーク主催者のおひとりであるメッシュワークの水上さんをご紹介いただいた。
メッシュワークのPodcastに出演させてもらったり、ゼミ展でゼミ生の皆さんと交流したりする中で様々な気付きを得られた一方、「頭で理解していることと体験から得られることには大きな差がありそうだ」とも感じたため、フィールドワークに参加し五感を使って浸ってみることにした。
訪問先の検討
人類学的フィールドワークは初めて体験すること、フィールドにいられるのが3時間しかないこと、3週間前の事前オンラインミーティングで「最低一人聞き書きをすることを目指す」というお話があったことから、「どうしたらできるだけ多くの現地の方と自然に会話できるだろうか?」という観点で訪問先を事前検討した。
好きで良く観ているNHKの「ドキュメント72時間」を参考に、前述の問いに応える条件を考え、以下①~⑤を仮説としてあげてみる。
①様々な方が出入りする
→話してくれる人に会う確率が増えそう
②話しかけるきっかけがある
→お店の方と商品について話す、バス停で「バス来ないですね」、等々
③オープンな場所である
→着席だったり、プライベート空間だったりだと、話しかけにくそう
④待ち時間がある
→話しかけるチャンスがありそう
⑤滞在時間が比較的短め
→長時間滞在する場所だと人の入れ替わりが少なそう
これらを満たすフィールドワーク先をネットで探していたところ、糸島は農畜産物直売所がいくつかあることを知る。①~⑤の条件を全て満たす上に、販売員、品出しにいらっしゃる方、お客さんなど、たくさんの地元の方と触れ合えて良さそうだ。その中でもフィールドワーク後の集合場所となる筑前深江駅近くで開催される糸島二丈ふれあい土曜夕市は時間もばっちりなので、ここを第一候補として現地入りする。
糸島にはイベントの3日前に入った。筑前前原駅近くのゲストハウスでテレワークしながら、オーナーや他の宿泊者、近所のお店の方々と話してみる。すると、筑前前原は江戸時代に宿場町として栄えたこと、前原歩帖という街歩きの地図があること、老舗と移住者がオープンしたお店が混在していることなどを知る。多様な現地の方と話すのにとても良さそうなので、産直に行くというアイデアはあっさり手放し、筑前前原でフィールドワークすることに決めた。
フィールドワーク結果
フィールドノートは2日目のフィードバックを受けて更新したいことがたくさんあるので、バージョンアップさせてそのうち公開予定。
筑前前原駅の北側半径500mくらいの範囲で、新旧様々なお店を結果的に11ヶ所回った。事前に地図を見て行きたいところに目星をつけていたが、街の人と話をしていたら「あそこも行ってみると面白いよ」とか「同じ時計をしている人がいるよ」といった感じで行きたいところが増えていき、3時間の予定が結果的に4時間半近くフィールドワークしてしまった。
話しかけたら、街中でもほとんどの方がたくさんお話してくれる。試しにどうしてそんなに親切にしてくれるのか問いかけたら、「暇なだけだよ」とおっしゃる方も。なるほど、たしかに全体的にゆったりとした空気が流れている。やることと時間に追われている都会(例えば山手線圏内)では同じようにフィールドワークできないだろう。
今回はペアでフィールドを回ったが、ほとんど同じものを見聞きしているはずなのに拾う情報が違ったり、感じ方が異なったりしていた。どちらも技術系企業に勤めるエンジニアなのに、こうも違うんだな。一人でフィールドワークするよりも、結果的に新しい観点や気付きをたくさん得ることができ、とても興味深かった。
また、フィールドワークモード(見聞きしたものに興味を持ち、面白がるモード)で街歩きしたからか、踏切横の標識やタンポポ、自動販売機の汚れ方など、普段目にしているはずなのに意識できていなかったことにも、多く気付かされた。
「裏・糸島」について
今回のフィールドワークは、「移住先として人気のある糸島の裏側に迫る」ことがテーマとして設定されていた。しかしながら正直に言って、訪問先を検討する際もフィールドワーク中も、フィールドノートのまとめにおいても、現地の方(できれば糸島で長く住んでいる方)から話を聞くことは意識していたが、「裏・糸島」について考え、触れ、見つけ出すことを全く意識できていなかった。問いを自ら立てるどころか、与えられた問いについて考えることさえできておらず、猛省である。
というわけで、「問いを立てる」→「仮説を立てる」→「一次情報に基づいて検証する」→「新しい問いが生まれる」→「再度仮説&検証」→以下無限に続く、というプロセスを最初(2番目)からは辿ることはもはやできない。また、2日目のフィードバック後にいただいた「本屋アルゼンチン」さんの紹介冊子に「うらとおもてはもういっしょでいいんじゃないか」という記述もあるが、せっかくなのでフィールドワーク結果をふまえて少し考えてみる。
糸島が移住先として人気な理由は様々なWebサイトで紹介されているが、おおむね次の4項目に集約される。
・豊かな自然に恵まれている
・美味しい食材がたくさんある
・都市へのアクセスが良い
・移住者に寛容で馴染みやすい
「裏・糸島」と言う場合の「裏」は何を意味するのか。「裏」という言葉には様々な意味があるが、今回は「裏社会」という言葉に代表されるような「表向きでない面=人の目に触れない隠された内部事情」という意味で、フィールドワーク結果を用いて上述の4項目を仮説として検証してみる。
・豊かな自然に恵まれている:裏の気配は感じられなかった
「本屋アルゼンチン」のある大入(だいにゅう)駅すぐ近くのビーチは水が澄んでいてとてもきれいだったし、Aさん(※)は可也山の登山や森の中のアスレチックを楽しんだり、Bさん(※)は友人と子供向けの自然キャンプ教室を糸島で開催したり、Cさん(※)は釣りやサーフィンを楽しんだり、私も含め、皆さんが自然を身近に感じ楽しんでいる話を数多く聞いた。一方で、自然に関する意外な一面に触れることはなかった。
・美味しい食材がたくさんある:裏の気配は感じられなかった
滞在中に私が口にしたもののうち明確に糸島産の食材を使用しているものは、SAZANAMiのプリンと、おしのちいたまのソフトプリームだけだったが、地元の食材を使うことにこだわりと誇りをお持ちだったし、どちらもとても美味しかった。また、Dさん(※)は、「志摩の四季」という直売所に毎週行き海産物を買っているが、直売所の海産物を食べていると、スーパーの魚は食べられないとのこと。この項目についても、裏事情を見聞きすることはなかった。
・都市へのアクセスが良い:電車によるアクセスは悪くないが、在住者のメインの交通手段や車でのアクセスについては要検証
福岡空港から筑前前原まで電車一本でアクセスでき、所要時間も50分弱と非常にアクセスが良い。電車の本数も朝の通勤時間帯は最短6分置きである。一方、筑前前原駅よりも唐津側は本数が半分程度になったり、筑前前原駅での乗り換えが必要になったりするなど、アクセスは少し悪くなる。なお、Bさんは福岡市内には車で行くと言っていた。そもそも地元の方は福岡市内へ電車もしくは車のいずれで行くことが多いのか。車の場合の所要時間や渋滞等の交通事情については未確認なので、都市へのアクセスが良いというのは、外部から来た人が電車でアクセスする場合のことを言っている可能性もある。
・移住者に寛容で馴染みやすい:移住者が増えることに積極的なのか、移住者がもたらす変化や便利さに良さを感じているのか、移住者が多い状態が続いているので受容の心は持っているものの積極的ではないのか、「寛容」という表現が意味することの分解と検証が必要
同じ糸島で生まれ育った女性でも、Aさんは移住者がオープンしたキラキラしたカフェなどには興味がないとおっしゃるが、Eさん(※)は、移住者が糸島を活性化してくれるのは嬉しいとのこと。また、Fさん(※)とGさん(※)はいずれも糸島外出身で糸島にお店を構えているが、奥様や元同僚のコネでここにお店を構えるなど、何かしらの伝手を使っている。さらに、Fさんがおっしゃった「移住者同士の繋がりは強い」という言葉から、糸島出身者と移住者との繋がりはそれほど強くないのかな?という推察もできる。移住者に「寛容」とは具体的にどういう状態なのか、分解して検証する要素はまだまだ残っている。
まとめると、今回のフィールドワークでは特に移住者への寛容度について、まだ十分に検証できていない。これを人類学の手法を用いて明らかにしていくことで、糸島市の移住先としての魅力をより具体的に発信したり、移住後のトラブルを減らしたり、糸島出身者と移住者との繋がりを強くしたりする可能性を感じた。
※Aさん:筑前前原駅近くのスナックで働く、糸島で生まれ育った20代半ばの女性
※Bさん:筑前前原駅近くに10年近く住んでいる、地元の建設会社で営業として働く40代半ばの男性
※Cさん:東日本大震災を機に糸島に移住し、筑前前原駅近くでピクニック用品店を営む40歳前後の男性
※Dさん:筑前前原駅近くで博多人形師としてご主人と工房を営んでいる、父の代から糸島に住む80歳くらいの女性
※Eさん:筑前前原駅近くのチョコレート店で働く、糸島で生まれ育った40歳前後の女性
※Fさん:筑前前原駅近くでコーヒー店を営む、唐津出身の30代半ば~後半の男性、奥様が糸島出身
※Gさん:筑前前原駅近くでTシャツ屋さんを営む40歳前後の女性、旦那さんの独立と元同僚の移住をきっかけに、糸島で店を構えることに
フィードバックの時間
初日PMのフィールドワーク結果をフィールドノートにまとめ、2日目AMに運営側の人類学者の皆さんからフィードバックをいただいた。他チームへのフィードバックも含め、今後フィールドワークをしたりまとめたりする際にどれも参考にしたいので、まとめておく。
まずは時系列で全部残す:フィールドノートには、感情の起伏がないところも全部記録に残す。それにより、感情が掻き立てられたり、気付きを得たり、考え方が変化したり、仮説が覆ったりした際に何がきっかけだったかを振り返りやすい。
次にメタ化する:時系列の記録をもとに、事前に立てた問いや仮説はどの程度検証できたかや、どのような新しい問いが生まれたかをまとめる。
身体感覚や感情も記す:日記のように、感情(嬉しい、苦しい)も残すとよい。それにより、調査する側とされる側が混ざり合う。
具体的な言葉、事象に注目する:「エミックターム」を使って語れ。etic(外側、第三者の視点)ではなく、emic(内側、当事者の視点)で、調査対象者の言葉を使う。それが調査地域でどのように共有されているかを調べる。
対称軸を持つ:比較対象があることで見えたり分析できたりする。こことは違うところではどうだろう?自分のフィールドではどうだろう?
二項対立は暴力的:現実は二項動態で複雑だが、ビジネスではセグメントやペルソナでまとめざるを得ないこともある。ただ、それは暴力的行為であるという意識を持っておく。
二人の違いを楽しむ:二人でフィールドワークした場合は、無理にまとめるのではなく、感じた違いを言語化しておくことで、気付きや新たな問いに繋がる。
仮説にとらわれ過ぎない:仮説を持ってフィールドに入るが、そこで見聞きしたり感じたりしたことを無理に仮説の枠に押し込めようとしない。今回の場合は、表裏ではなく、上下左右の動的関係という捉えなおしをしたチームは良かった。
人との関わりを大事にする:生活者や観光客は、その場にいる人との関わりを意識しないが、人類学的フィールドワークでは人に出会うことを大切にし、能動的に関わることを意識する。
柔らかく受け入れる:「あれもこれも教えて」とがっつくのではなく、流れに身を任せて偶然性も楽しみながら教えてもらう。
「わからない」のは自分が受け入れていないだけかも:自分の心を開いて事象を理解しようとすることが大切。
自分も見られている:フィールドワークをする際は、自分が透明人間になって客観的&一方的に見ているのではなく、相手からも自分は見られている。人は「求められていることに応えたい」という想いを持つので、自分がどういう人に見られているか、相手はどういう文脈の中にいるのか、ということを考えながら調査できると良い。
人に会わなくても見れることがある:地名や地図、道路の形、神社の位置など、人と関わらなくても得られる情報はたくさんある。
時間が経つと自分もまた他人:自分自身も変容していくので、フィールドノートを後日見返してみると、記載した際とはまた違った情報が得られることもある。
振り返り① 訪問先の検討条件
前述の「訪問先の検討条件」の仮説を十分に検証できたとは言えないが、検証結果を5段階(数値が大きいほど重要度が高い)で一応残しておく。
①様々な方が出入りする:2
→多くの方と触れ合うには重要。話しかけたら誰もが積極的に話してくれるわけではないため、多くの方にお話を聞くのが目的であれば、その場にいる人の絶対数は多い方が望ましい。一方で、出入りする数が多い場だと訪問者、応対者いずれともじっくり話すことが難しかった。
②話しかけるきっかけがある:4
→あたりまえ過ぎて仮説としてあげたことが恥ずかしいが、「この人に話しかけよう」と思って観察していると、どなたとでも自然に話しかけるきっかけは見つけられたので、それほど気にしなくて良さそう。
③オープンな場所である:3
→プライベート空間にいる方や着席して食事されている方に今回は話しかけていないが、一般常識として大事。ただ、「紹介されて来ました」とか相手にも興味のあるきっかけがあったからか、急ぎの作業ではなかったからか、作業中の方に話しかけて盛り上がったこともあったので、相手の状況を見ながら失礼のない範囲で勇気を出して声をかけてみるのも良いと思う。
④待ち時間がある:5
→「時間にゆとりがある」と置き換えて評価。フィールドワークの相手をするという、相手にとってメリットがなさそうなことに付き合っていただくには、これが一番重要だったと感じる。
⑤滞在時間が比較的短め:1
→多くの来訪者と話すことを目的に条件としてあげたが、自分が移動すれば良いだけであり、あまり重要ではない。むしろ店番をしているなど、その場に長くとどまらなければならない理由があり、来訪者が少ない場合はじっくりお話を伺えた。
以上をふまえ、次回フィールドワークをする際には以下の点に留意して、訪問先を決めようと思う。
・その場や人に触れることで、どのように立てた仮説を確かめられるか
・人にじっくり話を聞く場合は、相手に「時間のゆとり」があるか
※その条件として話すきっかけ等が関わってくる
とはいえ、その場に行ったり話しかけてみたりしないと分からないこともあるので、最終的には勇気を出して飛び込んでみるのが大事。
振り返り② イベント全体を通して
事前オンラインミーティングや、初日のフィールドワーク前に人類学的フィールドワークのポイントやコツなどの説明は一切なく、フィールドに放り込まれた。それについて特に不安や疑問もなかったが、2日目のフィードバックを終えてみると、素晴らしい設計だったと思う。事前に細かくレクチャーされても実感が伴わないと結局覚えていないだろうから、出来はともかく自分の手足と頭を使って体験し、最後にその結果に対してフィードバックすることで、内省を促されたのだろう。自分が手掛けるワークショップでも参考にしたい。
「裏・糸島」についてのところで記載したとおり、今回は与えられたお題に対して仮説を立てて検証するというプロセスをとれなかったのは、非常に恥ずかしく残念である。一方で、フィールドワークモードを発揮して様々な人やコトとの出会いを楽しめたし、仮に十分に下調べをして仮説を携えていたら、それを確かめることばかりに脳が持っていかれ、視野が狭くなっていただろうなとも思う。人類学的フィールドワークとは、問いを立て、仮説を立て、それを検証しにいくことと、軽やかに偶然的な出会いを楽しんだり、批判的に仮説をとらえたりすることの両立が求められる。同時に行うのはとても難しい行為であると感じるが、慣れればできるのだろうか。それとも、フィールドにいるときは後者を、振り返りの時に前者を主に意識して、何度もフィールドに足を運んでループを回すことで解決するのが良いのだろうか。フィールドワークに慣れた方の考えを聞いてみたい。
と書きながら、参加した経緯に記載した「メタ認知と自己変容」は、まさにこれかとも思う。渦中にいるときは自分をメタ認知するのは難しいが、あらかじめ持っている問いや仮説に基づいて事後に検証→メタ化し、望む方向に進むために自己変容が必要だと気付いたら変えるだけ。なんだか研究や仕事のプロセスと同じだけど、何事も本質的には同じなのだろうか。
このフィールドワークの後、福岡県の別の街に移動して1週間過ごしたのだが、フィールドワークモードを発揮して能動的に働きかけ、流れに身を任せたおかげか、温かい人達と出会い、楽しい時間を過ごすことができた。先を予想しにくい状況で、自分がコントロールできないことによるストレスはもちろんあるが、それ以上に得られるものは大きかった。これからも「ちょっと居心地が悪い」ことを積極的に体験し、認知と心の境界を広げていこうと思う。
企画・運営してくれた皆さま、フィールドワークに参加し、夜遅くまでたくさんお話した参加者の皆さん、ありがとうございました!
似たような感覚や興味、価値観を持っている仲間に出会えたことも、本当にうれしかったです。これからもどうぞよろしくお願いします。
(あれ、なんか最後だけですます調になった笑)