Takman
これはベトナムで働いていた時の事です。 ベトナムには雨季と乾季があり、アジアでも寒い時期があります。ハノイはダウンジャケットが必要だし、ホーチミンでもパーカーくらいは必要な時期があります。 中でも雨季は厄介で土砂降りになるとタイヤの半分くらい沈むことなんてしょっちゅうです。 そんな雨の日僕は半ドンで帰宅。しばらくするとテレビの音が聞き取りづらいくらいの土砂降りが。 そこから一時間もしないうちに電話が鳴り、取るとスタッフからただ事じゃないトーンで、 「雨!!雨が降って
これは僕の事です。 タイ人スタッフの子供が店にやってきて挨拶をしてくれました。 せっかくなので遊んでやると喜んでいるようです。 特に気に入ったのが蚊の物真似。鼻で「ん~~~♪」と言いながら指をくねくねしてほっぺたにあててやる。ぱちんと手でつかんだふりをしてまた「ん~~~♪」と逃げていく真似をすると喜んでいるようでした。 タイ語では蚊の事を「ユン」と呼ぶそうで「ユン!ユン!」と呼び、いつの間にか僕は「ユンおじさん」になっていました。 そんな時に、本物の蚊がやってきて「
先日、魚の業者さんから日本の冷凍技術が進化しているんだというお話を聞きました。 水槽に塩水の氷水が入っていてそこに生きた魚を入れると数秒でカチカチに冷凍されるんだそうです。 表面から冷凍されていくため血液が心臓に貯まり血抜きの必要もないんだそうです。 おかげで新鮮な魚の輸送が簡単になり、僕ら海外の人間にもおいしい青魚のお刺身が食べることができるようになったんだと。 じゃあという事で、業者さんにお願いして取り寄せたら思いのほかおいしかった。 僕は青魚が好きなので、是非
これはバンコクのフュージョンレストランで働いている現在の話です。 厨房スタッフのポンというスタッフがいます。彼は無口だが大柄で入社当初21歳の笑うとかわいい笑顔をしやがる一生懸命働くやつです。 寿司も握れない鉄板シェフとして採用しましたが、魚も扱いたいと言ったので今や寿司や仕入れもやってくれる将来有望な奴です。 そんなポンは酒が強い。一緒にはしょっちゅう飲みに行かないが強い。 そんな時、まぁたまにはいいかとスタッフに飲みに行かないかと誘ったら5人ほど来た。彼も来た。
前回登場したリチャードさんがいたラーメン屋さんの厨房にはライさんというマレーシア人のキッチンスタッフがいた。 良く働くマレーシアマレ―人で豚が食べれない宗教なのにラーメン屋さんの仕事が好きだと言っていたライさん。(出稼ぎなので宗教上細かいことは気にしない)日本が好きで、日本に行きたいと言っていたライさん。 彼も僕もお互い自国なまりの英語で会話するためなんとなくの英語。 ただ彼には決定的な欠点が見つかった。 明日も昨日もイエスタデイという事だった。 最初はどういう事か
これはシンガポールで初めて日本人が独立したラーメン屋さんで働いていた時の事です。 金融街の足元にあるそのラーメン屋さんはものすごく人気で、そこにはシンガポール人のリチャードさんがマネージャーをしていました。 間違ってもリチャードギアを想像してはいけない。れっきとした中華系の顔です。例えるならヒキガエル。声も大きくシンガポールのお祭りに人生をかけている男でした。(注 死んでない) 奥さんも一緒に働いていて小柄で働くフィリピン人の奥さんでした。 その店では賄いをみんなで食
これはバンコクでラーメン屋さんの立ち上げをしていた時の話です。 商業施設のオープンと同時のラーメン屋さん開店だったのでむちゃくちゃ忙しかったです。商業施設の「オープン景気」(業界用語なのかな)の勢いに飲み込まれその2か月うまいこと記憶がないですw(忘れたい記憶なのでしょう) そこにはタイ人のスタッフが20人くらいいて、みんな一生懸命働いてくれてました。もちろん日本と同じでロゴ入りTシャツと前掛け、手ぬぐいを頭に巻いた昭和ラーメン屋スタイル。 ある日厨房には大柄なタイ人の
これは僕が初めてシンガポールで働き始めた時の丼ぶり屋さんで起きた出来事です。 そのお店はその名の通り「丼」という昭和に作られたであろうスーパーのフードコートのテナントさんで僕は店長として働いていた時の出来事です。 その店舗はベトナム人の女の子が学校に行きながらバイトしてくれていて合計6人くらいだったかな。 シンガポールから来ている外国人は日本人も含めてよく働いてくれます。 その中のVy(ヴィ―)という見かけを気にする女の子がいて、彼女が体の調子が悪いから早退したいと話