季節を感じられないと死んでしまう
季節の移り変わりのタイミングは、体調を崩しやすいという。実感を覚える方も多いだろう。
急に熱くなったり、寒くなったり。気温の急激な変化に、体はついていくことができない。
だんだんと暑さや寒さが肌に馴染み、体は季節を少しずつ受けて入れていくのだ。
季節が変わる時期に、不調をきたすのは体だけではない。「心」の不調を訴える人も多いのだとか。
こちらも、実感を覚える人が多いのではないだろうか。
鬱、とまではいかなくても、なんだか重苦しいような感じがして、ずーんとしたような調子になる。気分が浮かない日がしばらく続く…気付けば、季節の変わり目ところか、その季節の本番になっても、不調をずっと引きずっている…
精神衛生や心理学は門外漢だから、はっきりしたことは書けないのだけれど、その原因がなんとなくわかってきたような気がしている。
それは「季節をちゃんと感じてないから」ではないか、と思っている。
緑がまぶしく、ぽかぽかと気分まで明るくなるような、春の陽気。
外に出ただけで、どっと汗が吹き出す夏の暑さ。
肌寒くて、甘くやさしい金木犀がふわっと香る秋の涼しさ。
息白く、かじかむ手をポケットに入れながら歩く冬の寒さ。
ぼくがここに書いたことよりも、もっと充実した、もっと鮮やかな、もっと美しい「その季節ならではのこと」を知っている人はたくさんいると思う。
けれど、そんな「季節らしさ」もぼくらの日常から、だいぶ遠ざかってしまった。
特にこの1〜2年は外出自粛の影響で、「お家時間」と言えば聞こえはいいが、「引きこもり」とほぼ変わらない、みたいな状態の人も結構いるだろう。
「どうせ家にいるんだから、暑かろうが寒かろうが、関係ないよね」みたいに思い始めているのなら、ちょっとメンタルの黄色信号かもしれない。
すごく勝手なことを言っているので、違ったらぜんぜん「ありえないよ」と言ってもらえって構わないのだけど、ぼくは、結構そうだ。
汗が出るはずの季節に、1日も汗をかいていなかったり、
ゆらゆらと揺らめく高層ビル群の蜃気楼を見られなかったり、
アスファルトからこみ上げる雨の匂いを嗅いでいなかったり、
旬の食べ物をひとつも口にしなかったり、
太陽の居座る長さをちゃんと実感できていなかったり、
入道雲から鱗雲に変わったことを知らなかったり、
もう1枚羽織ってくればよかったと後悔しなかったり、
透き通る空気の匂いを嗅いでいなかったり、
寒い日にちゃんと、寒いと思えなかったり、
する日がしばらく続くと、気分がとても落ち込む。大げさではなく死んでしまいたくなるほどだ。
少なくとも、ぼくはそうだ。
夏休みの終わりに「今年は海、行けなかったね」と、春先に「今年は桜、見れなかったね」と、物寂しくなる感覚に近いのかもしれない。
そうなるともう、夏が夏じゃなくなっちゃうんだよね。春が春じゃなくなっちゃう。
だとしたら、やはり今、大多数の人が、ちゃんと季節を感じられてないと思う。
「外に出よう」とはなかなか声を大にして言えない世の中だから、せめて「外の空気を吸おう」とは言っておきたいものだ。
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