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私と野球(1)野球、そして背番号”7”との出会い

・ 野球との出会い

私がはじめて野球の試合を見に行ったのは、私が10歳の頃であった。

当時は実家が岡山にあり、プロの野球の試合などテレビで見る巨人戦がほとんどであった。父親が巨人ファンだったこともあり、毎日のように家では野球番組が流れていた。阿部慎之助や高橋由伸、亀井善行に脇谷亮太など当時の巨人は非常に強かった印象があった。中でも父親は高橋由伸を推しており、私の異母兄に顔が似てたこともあり毎試合打席を確認していた。

そんな中で年に一度開催される倉敷での阪神vsヤクルト戦だった。巨人の選手の名前しか知らず、他球団の選手など新聞の打撃成績でしか見たことなかった私は生の試合はどんな感じなんだろうと非常にワクワクしていた。

そして試合開始。私は野球というものに非常に感動した。照明に照らされたグラウンドの中で豪快なスイングをする打撃陣、華麗なグラブさばきをする守備陣、そして両軍のファンによる力強い応援、そのどれもが当時小学生だった私に喜びと興味を持たせた。

・そして阪神ファンへ、上本博紀への憧れ

はじめて野球の試合を見て一気に野球ファンになった私は両親が阪神の応援グッズを買ってくれたこともあってか自然と阪神ファンになった。当時は家でWIIやDSを友達とすることぐらいしか趣味のなかった私にとってはとても新鮮なことだった。

プロ野球の選手名鑑を買い、阪神の選手を調べ、城島健司のユニフォームや藤川球児のタオル、応援バットなど様々なグッズを買ってもらっていた。

その中でも私が特に好きだった選手が上本博紀である。好きになったきっかけがある。それは2011年7月1日の倉敷での阪神vs横浜戦、関本健太郎の代走として出場した上本博紀は8対1の8回裏、横浜投手大原慎司からプロ初ホームランとなる2ランを放ったのだ。私は当時失礼ながらも点差があり、勝っている状態でまさかこれ以上得点することはないだろう、また途中から出た小柄な選手が果たして打てるのだろうか、と勝手に思っていた。

しかし目の覚めるようなレフトへのホームランに私は驚き、そしてすごく興味を持った。野球というものは何が起こるかわからない。だから面白い。それを直に感じた出来事だった。​

上本博紀初ホームラン

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 その試合のスコアとスタートオーダー

・二遊間に対する興味、そして背番号“7”の出会い

上本博紀を推し選手と決めた私はタオルを買ったり、動画を見たりしていた。(ユニフォームも買いたかったが城島のユニフォームをすでにもっていたために2着はダメと買えなかった)

それから私は阪神ばかりではなく他球団の選手、特に二遊間の選手に興味を持った。なぜなら上本博紀が二塁手だったこともあったが、何よりもダイビングキャッチや二遊間のコンビネーションなどの守備が素晴らしく思えていたからである。

当時はバッティングやダイビングキャッチなどで沸かせた阪神平野恵一・鳥谷敬や、お互いに足が速くいつでも盗塁できた広島東出輝裕・梵英心、アライバと呼ばれ幾度となく打者のヒットを奪ってきた中日井端弘和・荒木雅博など今考えてみればレジェンドと呼べるような人ばかりが二遊間を務めていた。
しかし、その中でも私はある選手に惹かれることになる。
それは横浜ベイスターズ 背番号“7” 石川雄洋であった。

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                                       (2)に続く~

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