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【わたしを見てください〜Look at me〜】《完全版》

☆この記事は文藝春秋✕note 投稿コンテスト
「#未来のためにできること」
の為に書いた作品です。


応募資格の中の「1,000文字以内」という決まりを
完全に見逃していて
勢い余って3倍以上の量を書いてしまいました😅💦

消してしまうのも勿体ないので
こちらも公開しておこうと思います。

〜〜〜

短大を卒業した18年前の僕は特段やりたい事も、
なりたい者も無く、
短大のコネクションを大いに活用して
地元のホテルへ就職した。
面接の際、支配人から唐突に問題を出された。

『君はホテルマンにとって一番大切な事が
何か分かるかね?』


分かる訳がない。ホテルマンになろうと思った事
など一度も無いし、そもそもホテルマンって
何するんだろう? くらい能天気な態度で
僕はそこに座って居たのだから。

「お客様に気持ち良く過ごして
いただく心配りでしょうか?」


それっぽい回答をしてみたが
支配人は眉間に皺を寄せて顔を曇らせた。
どうやら随分明後日の答えだった様だ。
じゃあ一体、ホテルマンに必要なモノとは
何だと言うのだろう。逆に気になり始めた頃
怒気が混じった声で支配人は言い放った。

『客を如何に効率的に回すかという事だよ』

呆気に取られている僕に向かって支配人は
追い打ちをかける。

『忘れない様に復唱したまえ』

僕は一週間後、水疱瘡になってぶっ倒れた。
思えばこれは社会への最初の拒絶反応だった。

これはフィクションではない。
現実に僕が18年前に体験した事実だ。

〜〜〜


10年後、僕はコールセンターで鳴り止まない
電話を取り続けて居た。

どの仕事でもそうだと思うが、
コールセンターにもクレームは山ほど来る。
お客様は実に様々な事を言ってくるが
総括すると

『金返せ』と『時間返せ』である。

現代の日本社会において「コスパ」と「タイパ」
は最重要事項の様だ。
「損をさせられた」「待たされた」
「受けられる筈のサービスが受けられていなかった」
こういった事はある種のお客様にとって
死活問題らしい。
ノアの方舟に乗船出来なかった人の如く
怒声と悲哀と愚痴の波状攻撃が始まる。

『大体なぁ、クレーム言うのにも一時間
待たされるってのはどういう事なんだ、

ええ??

誰のせいでこんなに電話が混んでるんだ?!』


あなたです。


この間にも電話機に付いている待ち呼のランプは
爆発しそうな勢いで点滅している。

クレームを言う時間についての「タイパ」は
勘定に入れないのだろうか?

『この電話も俺の金が飛んでいってるんじゃないのか?!』

「フリーダイヤルから掛けていただいて
いれば、無料でございます」

僕はニヒリストではない。
自分で言うのも何だが結構熱い男なのである。
そうでなければ
【#未来のためにできること】という議題に
ついて真面目に文章を書こう等とは
思わないだろう。

絶え間なく続く咆哮を聴きながら
この50代男性と思われるお客様の真のニーズを
考えて居た。

『俺を無視するな、俺はここに居る』

確かにそう聴こえた。
この50代男性に限った話ではない。

今まで色んな職種を経験して来たが
お客様の文句の裏には必ずコレがひょっこり
顔を出していた。

事の始まりはサービスの質や商品の不具合だが
例えその事象が解決しても

『俺を無視するな、俺はここに居る』


に上手く触れて緩和するアプローチをしなければ
怒りが収まらない場合は多い。

【愛の反対は無関心である】


インドの偉い修道女は言った。

『客を如何に効率的に回すかという事だよ』


『…ねぇ、タク君。さっきの電話対応、
ちょっと長かったわよ。
あなた、この1時間で2本しか取ってないじゃないの。あまり面倒なクレームは丁寧に聴かなくて
いいから、もうクレーム担当の第一班に
回しなさいね。分かった?』

はい、主任。

我々は何かを失っている。


シンプルに言うと、『愛』だ。
僕の体感的に『愛』は「コスパ」や「タイパ」の
中にはあまり見受けられない。

人は機械ではない。数でも実績でもない。
確かにそこに存在する尊い『命』だ。

効率の重視に拍車をかけ続けた結果、
僕らは『愛』を失った。


あまり概念的な話ばかりしてもどうかと
思うので、具体的な問題提起をするならば

日本国民一人々々が、他者に対してもっと
寛容になる必要があるのではないだろうか?

もっと言えば
他者にもそれぞれの人生がある事や
それぞれの悩みがある事を
認知する。…そのレベルを格段に

引き上げるべきなのではないか?


例えば、こういう経験はないだろうか。

過去に飲食業をやった事があるから
レストランや喫茶店に行った際
店員さんに多少の不手際があったとしても
その立場が理解出来たり、共感出来るので
寛容に向き合えた。

現実的なレベルで言えば、こういう類の事
くらいから始まってもいいかも知れない。

別に嫌いな人に対してムリに理解を示す
必要などないと思うが、
確かにその人が存在している、というのを
認知する事で随分変わる事もあるのである。

誰もが皆、心の中で叫んで居るのだ。

『わたしを見てください』


…..

そもそも、なぜこんな事になってしまって
いるのか。
この際だから思い切って書いてしまう事にする。

それは、

多くの日本人が『神様』という概念を
忘れてしまったからである。


僕はスピリチュアルを押し付けようとしては
いないし、
いわゆる宗教は大嫌いだ。

そういう話ではない。
何かを崇拝するとか神社に行くとか
壺を買うとか
そんな話でも断じてない。

いわゆる『おばあちゃんの話』みたいな事である。

『お天道様は見ているよ』
『そんな事したらバチが当たるよ』
『徳を積みなさいね』


そういう系の話題だ。

この手の話を昔はよく聴いた。
僕はおばあちゃんからだけでなく
近所のおじちゃんとか先生とか両親からも聴いた
覚えがある。

なぜ、コレが大切なのか…?

皆さんは【因果応報】(因果律)という

言葉をご存知だろうか?


ここまでこの文章を読んでくださっている方
なら知っている様に思う。

他人に良い事をすれば自分にも良い事が
返ってくる。逆もまた然り、というヤツである。

実際、こんな事は現代科学では証明できない。

『嘘だ、そんなモノは妄想だ』
と言われてしまえばそれまでなのだが

恐らく皆さんは何となくこの法則が存在し、
思いっ切り発動している事を
体感されて来たのではないだろうか。

仮にだが、もし【因果応報】が無かったとする。

そうすると、実はこの世界はやりたい放題
なのである。

実際、やりたい放題なのではあるが、
もっともっとやりたい放題になるのだ。

お金を盗んだって、人を殺したって
法をすり抜けたり、警察から逃げ切れば
それで、ハイ、大勝利。
やったもん勝ちの無法地帯である。

…が、現実はそう甘くない。
法や警察を騙せても、【因果の法則】の裁きは
確実にやって来る。
この法則からは誰も逃げられないのだ。

それを皆さん、理解して居るから
下手な事はしないし、自制が利いているのだ。

しかし、である。

その『おばあちゃんの話』がある時代以降
次の世代に十分に受け継がれていない
気がしてならない。

平成に入って以降か…
いわゆる日本の失われた30年に重なる訳だが。

前述した通り、【因果応報】の概念の無い人に
とって、この世界は唯物論的なモノであり
即物的なソレでしかない事になる。

人が他人の事をよく見なくなっていったのには
もう一つ大きな理由がある。

デジタル化である。


デジタルは社会のスピードを格段に上げた。
効率化と合理化を爆速で推進した。

そして、スマートフォンという小さな四角い箱
の中にすべてを押し込んだ。

だが、人間という『命』はスマートではないのである。

もっと土の匂いのする、泥臭い生き物なのだ。
恐ろしく時間と手間のかかる繊細で脆弱な存在だ。

デジタル化はスマートではない社会の部分を
『見えない化』する事に成功した。

だが、それは決して良い事ばかりではない。
その一番の弊害が

人を人とも思わなくなった事である。


アナログ時代…作り手の姿が見えていた時代は
意識的に見ようとしなくとも
他人の生活や癖、苦労、手間を垣間見る機会が
どっさり存在した。


今、それはかなり意識しないと
なかなか観測する事が困難になった。


スマホで「ポチる」のはいいが、
商品やサービスを管理したり届けているのは
相変わらず生身の人間である。

ドローンやどこでもドアで届けている訳ではない。途方もない血と汗と涙の上に
成り立っているサービスなのだ。

そして、彼らにも一人々々の生活があるのだ。
作業員ではない。

SNSにおいても、コメントを書いている相手は
画面の向こうの生きている『命』なのに
平気で罵詈雑言を飛ばす。


別に「デジタル化をやめろ」とか
「スマホを捨てろ」とか
そんな非現実的な事を言うつもりはないし
この文章もスマホで書いている。


我々日本人は物質的に豊かになり過ぎて
すべての物があるのが当たり前と思う様に
なってしまった。
すべてのサービスも24時間、365日
滞りなく正常に稼働していて
当然といった具合なのだ。

少しでも不便や不具合が生じると
赤子の様に泣きわめく。
戦前に生まれた世代の人々さえも…


かつて物作りで世界一になったこの国は
物によって衰退し、殺されてしまいつつある。

『猫にも鳩にもトンボにも心があるんだよ、タク』

『すべてのモノに神様は居るの。
お米にも七人の神様が居るんだよ』

〜〜〜

『ただいまー。ああ、兄ちゃん居たの?』
「おう、最近バイトどうよ」
『いや、マジでコンビニだりぃ〜って』
「それ、コンビニの弁当?」
『そうそう。死ぬほど廃棄あるからさ。
店長が持って返っていいって言うから
二つ貰っちゃった。でもさ、
マジでバチ当たるよな、あんな捨ててたらww』

おばあちゃん、この国はもう
終わりそうだよ。


〜〜〜


いや、このままバッドエンドで終わってしまうのも
虚しいので

僕の大好きな太陽の塔の写真を載せますね☺️🍀

よく癒されに行くんですよ、万博記念公園。
この日はいい具合に晴れていて
かっこいい雲もあって
良い写真が撮れましたよ📸✨

太陽の塔(正面)
太陽の塔(正面)

夜になると一番上の金色の顔の目が光ります。

それと、皆さん、知ってますか?
太陽の塔って裏側にも違う『顔』が
あるんです。

太陽の塔(裏側)
太陽の塔(裏側)

何だかダークでしょう(笑)
結構、こっちの顔も好きなんですよね。ふふ。

太陽の塔って中に入る事も出来て、
人類の進化の歴史が辿れる様な展示物が
たくさんある空間になっているんですよ。

更には『地底の太陽』という
地上からでは絶対に見えない第4の顔も
あるんです。

なぜこの話を最後に付け足したかというと
この『太陽の塔』ひとつ取っても
これだけの『顔』があるんです。

しかも、天候によってバックが変わると
太陽の塔自体は何も変わっていないのに

印象がガラリと変化するんですよね。

これを身近な人に置き換えて考えてみると
もうだいぶ知ったつもりでいる
家族や親友や恋人にも新たな顔や魅力が
潜んでいるかも知れないという事です🤭🌈

人ってキチンと向き合うとほんとうに
奥が深いです。


…と、少し明るくして終わっておきますね(笑)


















































































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