見出し画像

【カート・コーバンが死なずにすんだ方法】

NIRVANA(ニルヴァーナ)のリーダーにして
ボーカル&ギター、ほぼすべての曲を
作詞作曲していた
間違いなくロックの歴史に残る最高の天才

カート・コバーン。


彼は1994年4月5日に
自分の頭をショットガンで撃ち抜いて
自殺しました。(27歳没)


生活苦ではありません。
恐らく、一生とまでいくか分かりませんが
30年くらいは何もしなくても
暮らしていける資産はあった筈です。

NIRVANAにくわしい人であれば
カート・コバーンの有名な遺言(ゆいごん)は
ご存知だと思います。


〜〜〜

(以下、一部の抜粋)

俺はずっと長い間
音楽を聴く事にも、曲を作る事にも、
喜びを感じなくなっていた。

ステージ裏に戻って、ライトがすべて消えた後
熱狂的な聴衆の絶叫を聴いても
フレディー・マーキュリーみたいに
楽しむ事は出来なかった。

俺はみんなに嘘をつくのが嫌だよ。
ただの一人も騙したくはない。
俺の考える最も重い罪は、
100%楽しいんだと嘘をつき、フリをして、
人を騙す事。

時々、ステージに出ていく前に
タイムカードでも押しているような
気分に駆られていたんだ。

感謝しなくちゃいけない。
だから、出来る限りの力を尽くして
頑張ってみたんだ。信じてほしい。
それでも足りないんだよ。

自分たちが沢山の人に影響を与え
楽しんで貰えた事は重要だと思ってるよ。
きっとすべてを失った時に
はじめてそのありがたみが分かる
世界一のナルシストなんだ。

俺は惨めで、ちっぽけな、何の価値もない、
魚座の、救いようもない男。
どうして楽しむ事が出来ないんだ。
分からない。

俺はすごく気まぐれな人間だから
情熱が冷めてしまった。

徐々に色褪せていくなら
いっそ燃え尽きたほうがいい。


〜〜〜

カートは自分の思い通りの曲が書けず
かなりの間、悩んでいたようです。

『でも、1993年に【IN UTERO】出してるし
その中には名曲たくさんあるじゃん。
割りと順調に作れてるんじゃないか?』

しかし、【IN UTERO】の中でも
一般的に名曲と言われるような

「Dumb」「Pennyroyal Tea」
「All Apologies」などは

1990年頃。

つまり、超ヒットを記録した2ndアルバム
【NEVER MIND】を制作している時期に
生まれた曲なのです。

勿論、「Heart−Shaped Box」なんていう
名曲もあったりして
この曲などはもう少し後に作られたのでは
ないかと思うんですが。


要は、僕も一応、絵描きとかミュージシャン的な
活動をした事もあるので分かるんですが

黄金の様にアイデアが土砂降りで降ってくる様な
時期ってあるんですよ。

全員が全員、そういう経験があるかは
分からないですが、僕は経験しました。

逆に、どうやったって、何したって
なーんにも思い浮かばない時期もあります。
何年も続きます
それも経験しました。


カート・コバーンは、【NEVER MIND】を
制作していた1989年〜1991年とか
その辺りでしょうか。

多分、めちゃくちゃアイデアが
出まくったんでしょうね。

そのアイデアで3rd【IN UTERO】まで
一気に突っ走っていった、と。

でも、そこから先、



『ダメだ。いい曲が全然作れねぇ。。』🤮


ってなったんだと思います。

極端な話、1990年くらいから悩んで居たとしたら
最大で4年近く落ち込んでいたのかも
知れません。

1991年には【NEVER MIND】が死ぬほど売れて
億万長者になったので
お金の心配とか生活の心配とか
そういうのはいったん消えたとは思うんですが

さっきの遺言の通り

もっと良いモノを提供しなきゃ!
自分自身もちゃんと楽しんでて
お客さんともそれを共有しなきゃ!

って。

意識高すぎるんですよね😓


じゃあ、ここでいったん記事のタイトルに
戻って考察していきましょうか。


【カート・コバーンが死なずにすんだ方法】

①休む

②路線変更する

③バンドを解散する

④音楽は趣味にして別の新しい事をする

①休む

まぁ、一番最初に思い付くのはコレですよね。

自分にも他人にも嘘を付きたくない。
楽しんでるフリもしたくない。
テキトーな作品、納得出来ない作品も
出したくない、…

と来れば

『じゃあ、いったん休もうか』🤗✨


例えばですが、僕が好きな他のバンドで言うと
《マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン》
(以下、マイブラ)


っていうのが居るんです。

活動期間も全盛期もほとんどNIRVANAと
被ってます。

1988年に1stアルバム出して少し注目されて
(NIRVANAは1989年に1st発売)

1991年に2ndアルバム【Loveless】で
大ブレイク!

(NIRVANAの2nd【NEVER MIND】も1991年)

ほぼ同じ。

では、マイブラはその後どうなったのか。

ほぼ活動休止状態になります。

リーダーのケヴィンがたまに何かの映画に
曲をチョロっと提供したり
プライマル・スクリームという別バンドの
サポートギタリストとして参加したり。

で、2007年にライヴ活動を再開。
(1991年からすると16年後)


しかし、新曲などは発表されず。

次の3rdアルバムが出たのが2013年。
(1991年からすると22年後)

どうです?🥱🧋


こういうのもアリなんですよ。
ついつい、突っ走りたくなるのは分かるんですが。

で、実際に僕をはじめとしたファンの
3rdの感想というか受け止め方は

『やっぱりマイブラ好きやわ〜』😉💖


って感じなんですよ(笑)

『22年も新曲出さねぇとかふざけやがって!』
とか
『こんだけ待たせといて内容も
大したことない!』とか

まぁ、そう思う人も居たかも知れませんが
おおかたの人達は別にそんな事は思わない訳です。


ですから、まぁ、ケヴィンほどゆるゆる
しなくてもいいかも知れませんが

10年くらい休んでも何にも問題は
なかったかとは思います。

芸術家ってやっぱり、自分の人生経験の中で
たまった
ピュアな気持ち、感情、思想、気付き、目覚め、
そういうのを
作品に昇華する様なところがあるので。


どうしても同じ様なルーティンに
なっていると
ひねり出そうとしても何も出なくなるんです。


ですから、休むというか、
色んな人と交流を持ったり、様々な経験を
する事で
自然とポロッ、と良い作品が出来たりする
もんです。

そういう意味でも、《休む》、ですね。


②路線変更する。

1993年11月に披露された
アコースティックなライヴ。

『MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク』

カートが亡くなった後、アルバムとしても
発売されますが

そのライヴの中では
デヴィッド・ボウイやレッド・ベリー、
その他色んなアーティストのカバー曲を
やってます。

そして、すごく上手いです。
カートの歌もギターも絶品です。

もうね、カバーアルバムだけ出してても
普通に売れる。


で、そういう流れから
いわゆる【グランジ】と名付けられた
鬱屈した様な感情を躁鬱の波を表現するかの
様に静かに、そして叫びまくったりしながら
演奏する、あのスタイルをやめて

アコースティックスタイルなバンドに
なってみるとかね。


まぁ、カートがそれで納得するかは
分かりませんが
どこかのインタビューでポロッと
そんな感じでもいいかな、みたいな事を
言ってた気もするんですよね。


カートが自殺した部屋では
レコードでR.E.M.の
『Automatic For The People』が
流れていたらしいです。

生前カートは『R.E.M.は最高だよ!』と
言ってました。

まぁ、この感じの作風は作れないかも
知れませんが
もうちょっとシンプルな感じの
こういうノリのスタイルなら
生み出せそうな気はしますけど。


もしくはもっとノイズを押し出した
初期【Bleach】、または【IN UTERO】のB面の
多くの曲のような

勢いでガガガガガーッて行くような曲を
連発する
インディー的なスタイルに戻っても
僕は好きですけどね。


ただ、この時のカートの精神状態とか
色々考えると、その方向性はあまり
よろしくないかも知れません。。


路線変更すると
ファンは離れるかも知れませんが
そもそも演奏力があるので
何やっても大コケするとかは
意外と無いのかな、と思いました。

まぁ、テクノとかやり出したら
ビックリしますけどね(笑)


③バンドを解散する

今の仲間たちといったん離れてみる。
こういう選択肢もあります。


勿論、NIRVANAのメンバーはすごい
ベストメンバーだとは思います。

これ以上ピッタリ来るメンバーに
次に会えるかというと分かりません。

特に1回大成功してからの出会いというのは
相手の状況にも依りますが
非常に難しいです。

一緒に苦難を経験したからこその絆って
ありますので。


ただ、カートが追い詰められるのも
ソングライターがカート
一人だからだったんですよね。

後々の事を考えるとデイヴ・グロールだって
いいソングライターなんですけど
カートと比べると…というか
NIRVANAの作風に合わせて作るっていう
制約もありますからね。。

ビートルズの奇跡的な部分って
ジョン・レノンとポール・マッカートニーが
一緒のバンドに存在出来た、という事に
尽きるんですよ。


普通、そんな事ってないですよ。

あれだけの才能がお互いにあって
性格も全然違って
なのに色んな境遇が重なって一緒に
居る事が出来たんです。

ジョン・レノンだって途中でスランプに
なってるんですよ。

「Help!」って曲ありますよね。
あれ、ホントに
『助けてくれッ!どうすりゃいいか分かんねえ』

という悩みの歌なんですよ。

あの辺りでジョンはかなり精神的に
限界が来てました。

ポールという存在がなければ
果たしてどうなっていたか。

2人のコンビってのはすごい強いです。


勿論、カートにもクリスが居ました。
しかし、クリスはそんなにいい曲が
書けなかった。

そうなって来るとやはりカート頼みに
なって来ちゃうんですよね。

ブライアン・ウィルソンとかも
そのタイプなのかな。

天才を理解できる同等のちからを持った天才が
そばに居る。
なかなか起きない事ですけど。


ビートルズ解散後、
ジョン・レノンはオノ・ヨーコと組み、

ポール・マッカートニーは
ウイングスという新しいバンドを組みました。


④音楽は趣味にして別の新しい事をする。


『何言ってんの?』😕☕



と思ったかも知れませんが、
現実的にこういう判断をする人は多いです。


1回大成功しても
ブームが過ぎて、ネタも切れて、
売れなくなって、
忘れ去られてってタイプの人はたくさん居ます。

『ヒロシです、…』のヒロシさんも

売れなくなってから色んな事をされていて

今はソロキャンプ系のYouTuberの先駆者として
知られているんじゃないでしょうか。


1回、何かで頂点を極めたからといって
それのみが自分の絶対的な才能のピークとは
限りません。


ちょっと視点を変えてみたり、
ふとした事で
全然別の能力が開花する事もあります。

カートもそんなに音楽が嫌になっていたのなら
いっそのこと音楽やめて

別の事を試してみるのも
アリだったと思います。


売れてるからって
別にその状態を維持しなきゃいけないなんて

そんな事はないですからね。

周りの大人たちは色々言ってくるでしょうが
それは自分たちの利益追求の為であって
その人の為を思ってる訳ではない事が多いです。

そして、そのせいで精神や肉体が
壊れてしまっても
誰も責任は取ってくれません。


だったら、全盛期だろうが
まだまだ行けそうだろうが

自分が『いや、もうやめたいな…』
と思うのならばやめてもいい。

別の道はいくらでもあります😎🍀




〜〜〜


ハイ。そんな訳で
今回はカート・コバーンの自殺から
成功した後の苦悩と
それの解消法について考えてみました。


ではではこの辺で。
ありがとうございます!































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?