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【鬱、脱却。一番の方法は、『他人の目を気にしない事』】

現在、37歳。

鬱になった事もあります。
今は薬のちからも借りながら
仕事して居ます。

あ、僕の場合は社会に出なければ
まったく平気なんです。

人混みに揉まれたり、組織の中で
活動しようという事なら必要というくらい。


ホントに最近になってですが
ようやく鬱というか、そういう多くのモヤモヤ
から少しずつ解放されていく感覚を
もてる様になって来ました。

社会に出てから約20年。
心境の変化がありました。

勿論、歳を取るに連れて段々と変わっている
のは感じて来て居ましたが
ここ最近、一気に来た感じです。

理由は色々ありますが、個人的な事もあるので
割愛します。

とにかく、

人の目がどんどん気にならなくなって

来ました。


鬱の原因って色々あるのかも知れないんですが
僕の思うところでは
かなりの部分がココなんじゃないかな、
と思って居ます。

他人にどう思われるか、心配だ。不安だ。怖い。
気になる。気を遣う。気疲れする。人疲れする。

で、バッタリ、グッタリして倒れて、
こころも折れて、鬱。


ここで、常套句(じょうとうく)の

いや、誰もアナタの事なんて気にしてないから
大丈夫だって。

も言って置きたいのだけれども

なんだか受け身っぽいし、いまいち
納得出来ないというか。

それは、僕自身もそうだったから
分かるんです。

もっと攻めの姿勢で行きましょう。

嫌われる勇気。


こっちのほうですね。やはり。

人と人が出会います。
お互い、関係性が何となく出来ます。

同級生かも知れない。先生かも知れない。
同僚、上司、グループの仲間、友達、恋人、
家族もそうです…


誰でもいいです。


その人たちがアナタの事をどう思うか、

それをコントロールする事は出来ません。

心理学みたいなモノで、もしかすると
多少は何とかなる部分もあるのかも知れませんが

根本的にはムリです。

これは、自分が他人に対していだく感情に
置き換えてみても分かりやすいと思います。

好きな人、嫌いな人。ハッキリしてますよね?

別に相手がですよ、特に悪い人とか
自分に対して危害を加えたり、悪印象を
与えて来なかったとしても

嫌いな人は嫌いだし、興味ない人には
興味をもつ事は出来ません。


これをほんとうの意味で悟ると、
視界がひらけて来ます。

嫌われてる人に好かれるのは至難の業です。

大嫌いな分野の勉強で満点を取るのと
同じくらい難しい。

しかも、例えそれを成し遂げたとしても
世の中には、その分野が大得意な人たちが
山ほど居るので

ほとんど、..いや、あえて言いますが
まったく意味がありません。

そのアナタの事を嫌いだ、という人や
明らかに好印象をもってない様な人に対して

何をどうアプローチしたって
全然意味を成さないし、

少し反応があったとしても
そんなモノは束の間の事で
すぐまた元に戻ります。

相性というのはどうしてもあるのですから。

どんなに良い事をしても、どんなに成果をあげても
アナタを嫌いな人は

アナタの事が嫌いです。


だったら、最初からその人たちの事を
過度に考える必要性がありませんよね。

僕はそう思ったのです。

だって、どうもしようもないのですから(笑)

そして、面白い事に
これはアナタの事を好きな人にとっては
逆現象も起こり得ます。

アナタを好きな人は

アナタが一般常識的に悪いと思われる様な事を
したとしても、
仕事で失敗しても、ドジっても、
失礼だったとしても、すごいイメチェンしても、

結構、よほどの事でもない限り
アナタの事を好きなままだったりします。

少なくとも、僕は両方体験しました。


だとしたら、もうはじめから
自分を好きだと言ってくれる人だけに
的(まと)をしぼって

その人たちだけと付き合えばいいじゃないか、
ということなんですよね。

そして、その人たちは
アナタがよほどムチャクチャな事をしない限り
(明らかにヤバい犯罪とか)

アナタへの評価は変わらない。

とすると、結局、
その人たちの目すら気にする必要もない。

嫌いな人には関わらないから無視。
好きな人は好きで居てくれるから気にしない。

ちょっと理屈っぽいですが
これで『オール他人の目を気にしない』
が完成します。

鬱になると通りすがる人とかの目すら
怖い事がありますが

それこそ、アナタの事なんて
観てもいないです。
興味の対象にもならない。

そりゃあ、すれ違う一瞬は何か思うかも
知れません。
アナタの髪の毛の色が紫だったなら。

でも、2秒後には忘れてます。

そんな事で圧倒的に他人と差別化できるなら
楽なもんです。

他人は自分が思っている100倍、
アナタに興味がありません。


それに、これも使い古されている感がありますが

他人の目を気にして
したい事を断念したり、あきらめたりするなんて
もったいなさすぎます。


ハッキリ言って誰も観てないのに。

よほどの有名人でもない限り
誰も気にしません。

松本人志さんクラスでも
よほどのファンや関わりの深い芸能関係者
以外は

あの人の事を忘れていたのではありませんか?

戻ってくるかも、となって
ああー。ってなったくらいじゃないです?

そうなんです。
あの人レベルでそんな感じなんです。

アナタなんて誰も観てません。


だから、他人の目なんて気にせず
何でも自分のこうだ、と思う事を存分にやり、

誰に遠慮する事もなく
会社を辞めたければ辞めればいいですし

誰かヒドイ人や嫌いな人が居れば
全力で逃げればいいんです。

そこで歯を食いしばって
少し、自分さえ我慢しておけば
事は丸くおさまる、と考えて、
それをやった人が

鬱になってゆく。


鬱になる人って、要は真面目なんです。
でも、真面目も行き過ぎると大変です。

テキトーというのは
僕も最近、この歳になってようやく
覚えて来ました(笑)

テキトーは必要です。


ほんとうに大切な事に全力投球する為には
すべてを全力投球するスタンスでは
不可能だからです。

あと、他人に期待しない事です。
何かしてあげても見返りを求めてはダメです。

他人に何かを言われても
それが自分でピン、と来なければ
無視でいいのです。

ピン、と来た時は立ち止まってみても
いいかも知れませんが。

他人は言うだけ言って
誰も責任は取ってくれません。

責任を取ってくれない相手に期待して
その人が言うからと、言われた通りの選択や
行動をして大失敗した、と。

それで、その人が悪い!と恨んだりする。

この流れはありがちですが
こうなったのは最終的にそれを採用した
自分の責任なのです。

ただ、自分を責める必要もないです。
反省する必要もないです。

ああ、このやり方はダメだったんだなぁ。


以上です。それだけです。

大変、勉強になりました。おわり。です。

何かに過度に執着するとオカシクなって来ます。


もっと楽に生きればいい。
僕はそれがやっとこさ腑に落ちて来たのです。

自分のほんとうにやりたい事に向かって
がむしゃらにやってるような人は

尚更、このスタンスだと思います。

自分の目標や目的地に向かって
おりゃー、ってやってるのに

誰かに何かを言われたら
それで止めたり、方向性を変えたりしますか?

しませんよね。

それが例え、好きな人からでも
もちろん、嫌いな人からでも無視ですよね。

それでいいんです。

自分だけに期待すればいいんです。
自分を信じればいいんです。

そして、マイペースに歩いていく。

では、今回は以上です。
ありがとうございます!



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