長野に移住して良かった。首都圏に帰省して感じたこと
あけましておめでとうございます。
昨年から始めたnote。昨年は19本の記事を書きましたが、その多くは転職前の有休消化期間に書いたもので、4月以降投稿数がガクッと減ってしまいました。今年は昨年以上に投稿できれば良いなと思っています。皆様今年も何卒よろしくお願いします🙇
さて、年末年始ということで首都圏の妻の実家に帰省しましたが、長野(松本市)との違い、違和感みたいなものをすごく感じていますので、思いのままに書いていこうと思います。
首都圏に帰ってきて街中で多くの子連れの家族を見かけますが、親が子どもに対してすごく叱っている光景をよく見ます。たまたまなのかもしれませんが、何かみんなすごくせかせかしていますし、思い通りにならないことに対してすごくストレスを感じているように見えます。松本市に住み始めてまもなく1年経ちますが、松本ではせかせかした人をあまり見かけません。職場でもそうです。なんかのんびりしています。
首都圏と地方の時間の流れ方の違いなのでしょうか。
首都圏の人は時間を大事にしているようにも思います。せっかくの長期休暇をどうしたら有意義に過ごせるか、私も以前はそう考えていました。自分の予定から少しでも外れたことが起きると時間がもったいないと感じ、ついイライラしてしまう。電車1本逃してモヤモヤする。ごねている子どもをやたら叱っているのはそのせいの気がします。松本に移住してからそういうことが少なくなりました(そもそも電車に乗らないですが…笑)
また、普段から時間にゆとりを持って生活できるようになり、どのくらい長期の休暇を取れるかは別にどうでも良くなりました。世間一般には今年の年末年始の休暇は奇跡の9連休とか言われているみたいですが、こちらに住み始めてから仕事とプライベートのスイッチのオンとオフをそこまではっきりさせる必要がなくなったと感じます。これは仕事を頑張っていないという訳ではなく、別にそこまで気張ってやることでもないという考え方に変わったのかもしれません。
長期休暇が待ち遠しいという感覚も薄れた気がします。もともと私にとって長期休暇=心をリセットする期間だったのですが、今は私の大好きな北アルプスをいつでも眺めることができ、心を落ち着かせることができます。贅沢な時間を毎日堪能できる幸せを感じます。
私は幸福を感じながら生きている親の姿を子どもにも見せたいと思っています。子どもには人生って素晴らしいと思って欲しい。だからこそ、せかせかして心に余裕のない生活は送りたくない。
もう一つは、首都圏の人は消費者になり過ぎているのではないかということです。これは以前の私にも当てはまるのですが、暇な時間があれば買い物に行き、何となくいいなと感じたものを買い、どんどんモノが増えていく。消費してモノを手に入れれば満足感を得られ、少し経てばその満足感は薄れていき、次の満足感を得るために買い物する。もう資本主義の奴隷です。私にとっては負の連鎖でした。何をしても本当の満足感が得られない。街を歩いていても目に入ってくるものは消費させるものばかりです。心を豊かにさせてくれるものはほとんどない。私にとって結局何をすれば本当の満足感を得られるのか。その答えが松本への移住だったのかもしれません。
移住してから間違いなく物欲が減りました。これは株式投資に少しでも回したいという別の欲望もあるからですが、少なくとも中途半端なものは買わなくなりました。中途半端なものを買って得られる満足感<移住生活の満足感になっているからだと思います。
首都圏の駅近のマンションなんて買ってたら、一生資本主義の奴隷だったなと思います。便利さとかモノへの欲望は尽きることがありません。身近にあればあるほど欲しくなってしまいます。私がよく実感するのは、お菓子とかアイスクリームです。家にあれば食べたくなります。でも無ければ我慢しようという気になります。さらにコンビニやスーパーのお菓子コーナーやアイスのコーナーに行かないようにすれば食べたいという気にもならなくなります。欲望からできるだけ距離を置けば、欲望は次第になくなっていきます。そう考えると本当に必要なモノって実はあんまり無いのかもしれません。田舎に行くとホームセンターと小さいスーパーがあればそれで生活は成り立ちますし、それ以上欲していないから満たされない気持ちにもなりません。こっちの方が幸せなんじゃないかなと私は思います。
休暇は続きますので、また思いのままに綴っていこうと思います。本年も何卒よろしくお願いします🙇