久々にnoteを開きました。 以前は定期的なブログとというか備忘録みたいなことを書いていたのですが、体感時間が短くなって気づけば1年なんてあっという間、という生活になってしまい、記録を見たら3年前の記事が最後でした。 twitterの短文では伝わらない、常日頃感じていることとか、世代が変わって直接そういう話をしたことがない人たちにも伝わってほしいと思うことなど、たまにはこういう文章で出力していけたらいいかなと、そんなことを思った2024年の年明けです。 今年最初のイベント
とにかく資料との格闘。 助成金、補助金、申請書類、事務書類、とにかく書類、書類、、 2月末の段階から、きっと営業どころではなくなると予測して、すぐに資金繰りに動きました。ところが、その時点ではまだ小規模事業者や個人事業主向けの支援策はなにも決定していなくて、融資に関しても「借りやすくなる」というものだけでした。 仕方ないので、取引のある銀行の小口融資を通常の貸付利率で、現時点での金額から約3倍程度に上乗せして借りました。当然、借金です。 その後、3月中旬には政策金融公庫の無
4月のライブは9割なくなりました。 僅かに残る開催日は、それこそ365日うたを唄うことを生業としている人が来る日。生きるために、唄うひとの、生きれる場所を守りたいから。 ひとりでも、このステージに立ちたいという人が来る限り、自分から扉は閉めない。 自粛はしたくない。 人を集めたいわけじゃない。 動きを止めたくない、 考えることを止めたくない、 氾濫するネットの情報に振り回されたくない。 場所を維持するために、というのももちろんあるけど、 少しでも売り上げを上げるとかそうい
まずは一段落。 バースデー企画4日間、ありがとうございました。 沢山悩んで考えて、出演を決めた人、出演を見送った人、どっちも正しいし、どっちも間違ってない選択です。 それでも、同じ1日はもう創れない。 「たられば」の話はきりがないけれど、もし世の中がこんな自粛ムードになってなかったら、もっと素敵な日になっていたかもしれない、とか。 もしこの時期をあきらめてまた半年後とかに改めて組んでいれば、出れない悔しさもなく全員で大事な1日を創れたのかも、とか。 全部過程の話。 なので、
タイトルがなんとも不謹慎感を煽るのが気になるのだが、 一度決めてしまったものは仕方ない。 「COUNTDOWN TO 38th BIRTHDAY PARTY」 こんなときにバースデーイベントとかやってんじゃねーよとか突っ込まれると弱いけど、正直誕生日がどうこうってのは関係ないので。 冠婚葬祭みたいなもんで、ライブハウスの○周年とかと同じようなものだと思ってます。集まる理由の一つ。 今日から4日間、やります。 様々な立場、事情があって、やむなく出演キャンセル(この言い方も個人
3/5に、東京からチームしめちこちゃんが、レコ発で新しいCDをもって東北ツアーに。 3/9に、兵庫から陽月友紀さんが、10月ぶりの2度目の仙台に。 こんな状況でも、はるばる仙台に来てくれることが嬉しい。 最近はそれほど多くないけど、10年くらい前までは、よく県外に地元のバンドを連れて一緒にツアーに出ていました。 ツアーといいつつも、ほんと若手のペーペーのバンドと一緒のドサ回り。地元だけでは得られない刺激とか経験とか、アウェーの環境で戦うためのメンタルを鍛えたり、連日のライ
特に別の主張を否定したり非難するような気は全くないです。 あくまで、自分はこう思う、という話。 監視されてるみたいな閉塞感。 差しさわりのないきれいな言葉だけ歓迎される。 ちょっと疲れたので、言いたいこと書きます。 通常通り、営業しています。 店側の判断での中止はしない方向で、主催の方や出演者が厳しいという時は、キャンセルや延期の対応をします。キャンセル料などは頂きません。 結局、詳しいことは全然わからないんです。 どんなウイルスでどんな危険性があって、どんな対処が有効
好き・嫌いの2つの感情の割合で、いろんな人との付き合い方は変わってくると思うのですが、仕事柄いろいろな世代・環境の人と接するので当然相性もあるし、少なからず好かれたり嫌われたり、なんとなく雰囲気で察することが多いです。 でも、そういう感情が生まれるのは、まだまだ「人」として接しているからこそ。 ところが、そういう感情すら生まれないとき、「無関心」という属性になります。 自分にとって、関わるメリットもデメリットもない、そこに費やす時間が無駄だなとさえ感じてしまうような瞬間が、
これでも約15年の間に、約80タイトルほどのCDをリリースしてきました。 といっても、ローカルなインディーレーベル。全国展開したアイテムは30作品ほど。最近はめっきりリリースの機会もなく、CD-RでのデモCDくらいの細々とした活動になってしまっています。 流通をかけて、CDショップで展開して、全国ツアーを回って。 そんな活動は2010年前後がピークだった気がします。 毎年制作していた高校生のオリジナル曲をレコーディングして1枚のCDにしていたオムニバスシリーズも、平成10
絶賛学園祭シーズンです。 今年もいくつかの大学にお邪魔しています。 毎年、たくさんのバンドやサークル、団体、実行委員の企画などが詰まっているステージなのですが、その進行に関してはなかなか苦労も多く、毎年ちゃんと引継ぎされていない部分も多いので毎回説明が大変です。 音響機材は割とバンド演奏に対応する仕様でプランを組んでいるのですが、実行委員はバンドマンではありません。 なので、タイムテーブルがなかなか鬼畜なことになっています。 10:00-10:20 バンドA 10:3
秋の大学祭シーズンが一段落。 ありがたいことに、毎年何校かの学祭の音響で依頼があるので、この時期は毎週末機材の準備や設営で朝から深夜まで大忙しです。 規模もまちまちで、サークルライブから大学のメインステージまで、様々な規模と予算で大学によっての個性が出てきます。 まぁ、全体的に予算は限られてて、正直規模に対して予算不足は否めないのですが、成功に向けて少しでもサポートしてあげたいという気持ちから、採算度外視して多めに機材を確保して持っていくことが多いです。 結構勘違いして
アルバイトスタッフが突然辞めた。 夏の繁忙期、シフトの割り振りもギリギリの人数。 ライブ当日、間もなく会場入り時間。 代わりはいない。今いるスタッフで対応しなければいけない。 必然的に、PAをしながらビールを注いで、転換はすべて一人でこなす。 照明スタッフは操作の合間に受付をして、ドリンクの注文にも対応する。 なんとかなったりはする。でも、本来のクオリティは出せない。悔しい。 ここ数年、働く側の待遇向上や環境改善が叫ばれていて、バイトの時給もどんどん上がり、ちょっと勤務時間
改元って、昭和の終わりは天皇の崩御からの厳粛なムードで厳かに行なわれた記憶があったけど、平成の終わりはまるでお祭りのようなイベント感。 新しいフェスのような、何とも言えない不思議な感じ。 何が正解かはわからないけど、少なくとも時代の節目を明るい気持ちで迎えられたというのは、大きな変化なのかな。今のニーズに沿った形というか。 万人に認知されて受け入れられるイベントとしては最大級ではないでしょうか。 とはいいつつも、あまりその変化を自分の身の回りでは感じる機会もなく(若干の婚
今月はメンテナンス月間。 業者が入ることなんてほとんどありません。 全部手作り。 今でこそ、割とちゃんとステージとか楽屋とか、環境も整って普通にライブができていますが、最初はほんと空き部屋に機材を持ち込んで毎回セッティングをして、あるもので試行錯誤してライブをしていました。 写真は当時のバーテイク。ドラム台だけあって、あとは全部持ち込み。 謎の配線が怪しすぎます。 出演者も一緒に機材を運んで、ケーブルを繋いで、ロクなサウンドチェックもできないまま、音が出るのを確認して、受付
はじめまして。 たっけです。 あんまりSNSはマメなほうではないので、長続きしないかもしれませんが。 twitterの文字数では、なかなか思った事やその時発信したいと思ったことがうまく表現しきれなかったり、誤解を招きそうなワードになってしまいそうで、ちょっともやもやしていたので、自由な長さで書けるところで、気ままに綴っていきたいと思います。 以前はブログもやってたんですが、写真とか全然撮らないので地味で。 あと携帯で操作する仕様に変わってしまって、パソコンで打つ方がスムーズだ