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人生の苦しみと共感力の関係
共感力とは
他者の考えや感情を理解し、寄り添う能力です。コミュニケーションの質を向上させ、信頼関係を築くために重要なスキルです。
自分の「他人への共感力」はどれくらいあるのだろう?
ずっと悩んでいることです。
「楽しいことも苦しいことも含め、様々な経験を積んだ方が
共感力が上がる」なんて聞きます。
「いろいろと苦しみを経た方が、人間性が向上?し、人の気持ちがわかるようになる」なんて言葉もあります。
どうなんだろうか。
子供の頃の苦しみ。
「子供は、大人ほど深い苦しみはない」なんて、そんなことはない。
場合によっては子供時代が一番苦しい。
さて、家庭環境が難しい子供が学校環境においても難しくなるのは
よくあることです。
家庭と学校しか世界がない幼い子供にとっては
逃げ場というものはありません。
今でも鮮明に覚えています。
9歳の時、「こんな何もかもつらい人生だったらもうこの世から消えようかな」と思っていました。
でもある日、朝に小学校の校門をくぐった時に突然
「いつでも消えることはできる、と覚悟しているんだから
もう怖いものはないな。もうしばらく生きてみよう。
いざとなったら消えればいいし」と閃きました。
そこからは苦しみは続きましたが、ひとつの極めて危険な状況からは脱しました。
(この考えが正解かどうかわかりません。
今の自分だったら「それは違う」と言うと思います。)
私は、「家庭環境による子供の苦しみ」は人一倍理解できるつもりです。
でも、そこばかりに重要点を置いてしまった。
そして「家庭環境に問題のない人間の苦しみ」を知り、理解するまで
随分時間を要したと思います。
だから学生時代などは「あなたは人の気持ち、苦しみがわからない」
と言われたことが多々あります。
「じゃあこっちの苦しみはわかるのか?」と言いたいのは山々でしたが、
どうもその頃は「どんな他人の苦しみより自分が苦しんできたことがはるかに上」というある意味驕り?が存在したと思います。
自分の苦しみだけにかまけていると、他人に対する
共感力はむしろ鈍くなっているのではないか?
では共感力の高い人間とは、「適度に楽しいことと苦しいことを経験した人間?」・・・あまり浅くてもだめな気がする。
もしかしてそもそも「共感力」という「生まれながらの才能」が存在するのか?
はたまた「人間という存在」についての愛情が深いのか?
本当に難しいですね。
何が正しいのか。