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恋の甘酸っぱさとは何だったか

共同マガジン「万華鏡」のお題「恋」の記事です。

とてつもなく自身の嫌な部分、自分の幼さと向き合う作業となりました。
ある種最強の「自己紹介」です。

でも・・・考えればあくまで「恋」です。
「恋愛」でもない。
「男女関係」でもない。
そもそも「人間相手(生きている相手)」とも限らない。

ならば何とか書けるか?

でも一応、「異性」に対する気持ちとしての「恋」には限定します。


異性を意識しだしたのは、10歳にも満たない頃だったので早かったかもしれません。

でも主に10代では本当に「恋に恋する」ぐらいの状態で、遠くから見つめるだけで満足していた気がする。
(とは言え15歳で初めて「告白」を経験して、それはもうトラウマなどと表現できないエラい目に逢いましたが)


それと同時進行で、小説・映画・漫画・アニメ等の登場人物に恋をする
ことも多かったです。
(「この作品の○○という登場人物で~」と羅列しようと思ったけど、
さすがに「キモい」気がしたのでやめました。)

さて、この2次元への恋(映画の女優に恋した、こともありますが便宜上この言い方をします)も今回「お題:恋」を考えるにあたってとても重要だと思いました。

これらへの「好き感情」(萌えなどとは断じて違う)は今でも容易に思い出せるのです。
簡単に自分の中で蘇らせることができる。
何なら「甘酸っぱさ」「ときめき」まで再生できる。


でも何人もの実在の「好き」になった女の子・・・
小学生時代から全部顔も名前も覚えているはずなのに
どれだけ記憶を再構築しても当時の絶対あったはずの「甘酸っぱい気持ち」「ときめき」「ドキドキ」が出てこない。

単に年齢を重ねて遠い過去になった、のももちろんある。

でも考えればおそらく、その後の(20代からの)「経験」が大きい。
・・・「恋」というものが得体の知れないとにかくヘンテコで自分勝手で
未熟さをさらけ出すものに変化してしまった。

いろんな場面を思い出すととにかく胸が痛い。痛すぎる。

 自分の思った理想像を相手に押し付ける。
 「あなたなら何でも許してもらえると思っていた」なんて言う身勝手さ。
 「あいつ最近うざいな」と思ったら自分が相手を引きずりまわしている。
 恋愛の名を借りてお互いにドボドボに依存し合う。

未熟さ、幼さ、自らを知らずの愚かさ。

甘酸っぱさは体のどこかがきっと覚えているはずだけど、
この辺の痛みやら悔しさなどが渦巻いて取り出すことが出来ない。

・・・というのが正しいんだろうか?
感じる機能が完全に衰えたとか?
あるいは「何らかの新規の存在(それこそ「人間以外のものに恋する」など)」が生まれれば復活するのか?

何か大事なことがある気がするけど、どうも自分ではわかりません。


以上、お題「恋」の記事です。
フィクションは書いてませんが、全ての事実、現象を書いているわけではありません。もっと書きたくもありましたが、正直「痛み」に耐えられそうもありません(笑

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