![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/174957305/rectangle_large_type_2_d8ac8fa14a7af9499032fb177a275ac6.jpg?width=1200)
はみ出した人にしか創れないものがある/吉本ばなながテレビで言っていたこと
吉本ばななが、Eテレでやっている「N H Kアカデミア」という番組に出演していた。この番組は、だいたい前後半に分かれていて、その前編だった。後編は多分今週のどこかで放映されると思う。学者や作家がこちらに向かって語りかけていく、講義のようなスタイルをとっている。前回は、睡眠学の柳沢教授が出ていた。基本的に一人語りの番組だが、途中から、オンラインで繋がっているファン(?)からの質問を受け付けたりする。
これはよく知られていることらしいしが、吉本ばななが千駄木出身だということを、この番組で知った。吉本は千駄木を何度も「下町」と呼んでいる。昭和に千駄木で生まれたことは、彼女に強い影響を与えた。町の大人がみんな、自分たちのことを見ていてくれること。自分の家の子供か他人の家の子供かにかかわらず、誰かが見てくれていたこと。町に変な人が入ってきたら、すぐにわかったということ。そういう安心感があったと語られていた。
千駄木は、今でもそういう「古き良き東京」の雰囲気を残す数少ない町ではあるが、そういう雰囲気はもうなくなっている。だから、下町を舞台にした小説を書きたいと、最近書いたらしい。今の、社会にはそういう安心感はない。良くも悪くも、「個」の社会になったから、人と何かを共有すると言うことが難しくなった。町全体で子供を育てているという感覚は、極めて持ちづらい。だから、保育士さんが子供のことを見てくれたり、友人が家に来たりしてくれるととても嬉しくなる。私たち家族が、決して社会的に孤立しているわけではないのだと、少し心が解ける。
現在、社会は孤立を深めている一方で、均されてもいる。吉本の話で面白かったのは、「はみ出し者」について語っていたことだ。どういう言葉か正確には忘れてしまったが、今の世の中、みんな均されていってしまう。すべてに中途半端な答えが与えられている。そういうところで、みんなと違う人はすぐにはみ出し者とか発達障害とか言われる。でも、そういうはみ出した人にしか創れないものがある。そういうところでしか、生まれないものがある。それを社会がどのように育てていくかが、大切なのではないか。吉本はそう言っていた。
確かに、才能や能力は、そういうものをひっくるめて、人という存在は、自分だけでどうにかできるものだとは限らない。自分以外の誰かが発見したり、それを破壊から守ってあげたりすることで初めて、才能が潰えずに伸びていくこともあるかもしれない。
そういう言説を、私はもう長い間見ていなかった気がする。現代社会では高いコミュニケーションが要求される。職人でさえそうではないか。何かができない人、頑固な人、めんどくさい人、人と違う人は、それだけでふるいにかけられて、そもそも相手にされない。自分を売り込んで、何ができるかよりも、何ができると見られたいかが重要になる。そのようなセルフプロデュース能力を求める社会は同時に、無限の自己反省を迫ってくる。
それが今の社会の前提(スタンダード)だから、「はみ出し者」には誰も触れない。コミュニケーションがうまくできない人は、いかにそのダメージを受けずに耐え抜くかというテクニックばかり教えられるが、そういう自分の側面は肯定されることはない。だから吉本ばななの言葉は衝撃的ですらあった。昔はそういう言葉を聞いた記憶があったのだが、もう10年くらいは、それに類することは聞かない。
はみ出した人にしか創れないものがあるというのは、人の存在を肯定している。はみ出した人を強く肯定する言葉だから、私はイエス・キリストを思い出す。イエスははみ出した人、差別された人、弱い人、異邦人、そういう人々に光を見出した。社会の中心にいて、大きな顔で廊下を歩いている人には見向きもしなかった。
「はみ出した人にしか創れないものがある」というふうに、やはり宗教者や文学者が言わないといけない。社会の時代の趨勢に乗って、誰かと繋がって、うまくやっていくだけが全てじゃない。高い給料をもらって大手を振って、社会にインフルエンスを与えて、高学歴を誇るような人生だけが幸せなわけではない。そういうことをもっと文学者が言わないといけないのではないか。だから吉本ばななが言った。誰も言わないから、吉本ばななが言った。
吉本の言葉は、もう何十年もキャリアを築いてきた大物にしては真摯で、それに相応しい重みを感じさせた。たとえば、自分の読者には不治の病に侵されながらも、自分の作品を楽しみに読んでくれる人がいる、そういう人のために、手を抜いていると思われるような仕事はできない、というようなことも言っていたように思う。その言葉にも、私は感動した。
彼女には20歳くらいになる子供がいると番組で言っていたが、子育てについて話題が及んだ時、子供のことを「絶対」と呼んでいたのが面白かった。それまで「絶対なんてない」と思っていたが、「絶対」に出会った。「絶対なんてない」なんて言っていた自分は何て子供だったんだろう、と言っていた。「絶対」という言葉は私も好きだ。「絶対」は肯定的に、「相対」は否定的に、私は使う傾向がある。
吉本ばななの本は、高校時代に読んだ。おそらく多くの人と同じように『キッチン』と、その周辺の数冊だったと思う。それ以来、読んだことがない。そのことを知り合いに言うと「男子だからねー」と言われた。こんなに直球の差別的な言葉があるのかと笑ってしまうが、やはり読者層には男女の違いは大きいのか。しかし『キッチン』を読んだ高校生の時、とても好きだと思ったし、そこまで女性的な感じはしなかった。今読み直してみるとどうなるのか、気になっている。