デジ庁の次は、「無駄と余白庁」を作るのが、いいんじゃない?
こんばんわ、滝沢です。
寝る前に思いついたので、ざっと備忘録として。
デジタル庁ができましたが、
次は「無駄と余白庁」かなと思ってる。
利便性、効率性だけを追求しすぎると、世界は全部セブンイレブンとAmazonと豊洲になっちゃうので、文化がなくなっちゃう。
最近、新木場スタジオコーストとかクラブも、どんどん無くなっていく。宮下公園はジェントリフィーケーションというのか、誰のための公共空間だよ。という感じだし、三茶も再開発されるらしい。利便性、効率性、交換価値(利便性が高いものは交換価値が高い)、金になるかのゲームをやりだすと、アンダーグラウンドな遊びが潰れる。そんな場所が減っていく。(単純にコロナで、一足が減っているから説もあるが、確実に街は画一化されていってる。)
ただ僕自身、「便利なものは、便利なので、超便利だ。Amazonはやめられない。正直、街の商店街で探すよりすぐに見つかるので、街の商店街はあまり行かない。ドラッグストアもあまり行かない。」
行動と考えの間に葛藤がある。
少しだけ、人間と社会について考えてみる。
「利便性を求める」のは、人間の癖な気がする。「KPIや目標を設定して、改善や挑戦する」のも、人間の癖な気がする。大昔の村族の長もラグジュアリーをつけていたらしいので、見栄なんかも張る癖もあるんじゃないかな思う。
そんなところに、(悪く言うと)、漬け込んで、普通に時代が経っただけなのが、2021年ってだけなのかもしれない。人間が集まったから普通にそうなった?人類、何回やり直しても、こうなるかも?
まあでも、環境はヤバい。遊び場も減ってきている。デジタルプロダクト依存症傾向の人も多い。ドーパミン過剰。サービス!DAU!MAU!CTR!コンバージョン!ビーコン!アルゴリズムによってパーソナライズされたフィード!あんまり、ウェルビーイングじゃない。
昔よりもっと、心が、消費財になっている。
まあ、だから「個人として、不便を楽しんで(不便益)、無駄さに価値を感じて生きていこうとする姿勢が、大事なんじゃないか?」みたいなことも思うところもある。その、文化、遊び場を守るために、デジタル・ウェルビーイングのために。
でも、Amazonでトイレットペーパー買って、セブンで昼飯食ってしまう。文化や街並み、遊び場を失くしているかもしれないのに、個人としては、利便性、効率性を求めてしまう。
人間の尊厳をもう一度考えていこう。
一回、「無駄と余白庁」を作って、「無駄と余白にKPIを」設定してみるのが、面白いと思う。SF小説でもいいけど、思考実験のきっかけとして。
「無駄なもの」「余白」を大切にしていきたいと思うのである。
無駄と余白にKPIを。
以上
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PS: Marvel Studioは好き。