車椅子
車いすをそっと漕ぎ、いつの間にか傍にいた。
あなたのうつろな目は何を意味しているのだろう。いつもよりも認知症で、いつもよりも不自然な顔。苦しそうなのを我慢している顔。いつも苦しいだけだから、それよりももっと苦しい顔。
見ていられず、顔を背けたら、車いすに乗っているはずの動くことのない足までも震えていた。
長年の経験とは、自分の直観とは裏腹に、自然と体に直帰するもののようで、あなたの体はすっかりと不自然さを仰ぎ切っていた。どうやらあなたは、いつもより悲しい感情だと、いつもよりも深く、さらに神経質なまでに、眉間にしわを寄せるらしい。
くるくる、と車椅子を漕ぐ、というより、その場で動かしている。不安そうに、何もわからず、ぼんやりと、ずっとそのままに。いつものようにさっき向かったはずのトイレへ、時間の経たないうちに、また、弱弱しく、蛇行しながら向かっていた。しかし、どこか躊躇するように。
外を見ると、昨日の晴れた空模様から一転して、辺り一面曇り空で、ときおり冷たい風さえ吹く始末だった。曇り空がぼくの心を動かすようで、その人の車いすを滞らせるようで、でも、次に来るはずのその現象のことを、迎え入れずにはいられなかった。
ぼくたちのいるそこには、確実に何人かいるようで、その人ただ一人しかいないかのようだった。寂しさが、つんと伝わるそのフロアは、身長の縮んだあの人がいるのみのフロア。ただ一人のフロアであってほしいと思う。
「川に忘れ物をしたんや。とってきてくれんか。」
そう言って、ぼくを頼ってくれたはずだった。探し物を探すのは、そう容易くはないが、あなたを見ると、何か心残りがあるようで、誰かを心配し続けているようで、それがぼくの心配を煽り続ける。
「わかった。あとで見とくよ。」
あなたのその、しびれたままの小さい掌を見ていられなかった記憶があるのだが、それをあなたは許してはくれるだろうか。
あなたのその掌も、足も、体のどこもかしこも、何もかも、ぼくがあっという間に治せればいいのにね。