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日本と韓国 両国の代表としてオリンピックに参加した選手

戦争責任のため日本が参加できなかった1948年ロンドン大会では、 女子陸上短距離のフランシーナ・ブランカース・クン(クン夫人・オランダ)がスターになった。

女子陸上の100m、200m、80m障害、400mリレーに優勝、一大会で四つの金メダルをとったのは女子陸上ではクン夫人だけだ。

このとき30歳だが、実は1936年のベルリン五輪に18歳で400mリレーと走り高跳びに出場している。

ご存知のように五輪は、1940年(東京→ヘルシンキ)、44年(ロンドン)と2大会が第二次世界大戦のために中止になり、1948年のロンドン五輪は実に12年ぶり催であの開った。

12年はあまりに長く、選手としての全盛期に五輪が開催されなかった選手も多くいた。

クン夫人は、1940年にコーチと結婚。翌年に長男を出産、1946年に長女を出産しながら競技を続けた。

日本とドイツはロンドン五輪に招待されず、1952年のヘルシンキ五輪まで16年のブランクができた。

ベルリン五輪では、マラソンの孫 基禎と南昇竜がそれぞれ金と銅メダルに輝いたが、彼ら以外にも7名の朝鮮半島出身の選手が日本代表に加わっていた。

陸上競技:孫基禎、南昇竜

サッカー:金容植

バスケットボール:張利鎮、李性求、廉殷鉉

ボクシング:李奎煥

その7名の選手の内、2選手がロンドン五輪に出場した。

勿論 韓国代表としてだ。

ひとりはサッカーの金容植。韓国サッカーの父と呼ばれる人物だ。

26歳のときのベルリン五輪、ベルリンの奇跡と呼ばれたスウェーデン戦での勝利の一翼を担った。

その12年後のロンドン五輪にはコーチ兼任選手として出場。

1954年のW杯にも韓国代表コーチとして参加をした。

もうひとりはバスケットの張利鎮。18歳で日本代表としてベルリン五輪、30歳で韓国代表としてロンドン五輪に参加し8試合に出場、8強入りに貢献した。

あらゆるスポーツ選手の中で、日韓の両方で代表になった選手は何人かはいるが、両国の代表で五輪に出場したのはこの2人だけではないかと思う。

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