オリンピック百夜話

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スポーツマフィアに食いつく中国 ANTAのジャケットを着るIOCバッハ会長

下記の画像は24年前の長野五輪1998年の閉会式の模様だ。 サマランチIOC会長(当時・故人)の着ているジャケットの胸には「MIZUNO」のロゴが見える。 ミズノは1995年から2012年までIOCの公式サプライヤーを務めた。 そのため、主に冬季五輪においてIOC委員に防寒のジャケットが必要な際は、必ずミズノのジャケットが用いられた。 東京の2020年の夏季五輪の招致運動中に、招致委員会の中に、活動の中核を担うNPO法人格の理事会を発足させた。 竹田恒和JOC会長(当時)

    • 市川崑監督の『東京オリンピック』を見る

      先日、NHK-BSで市川崑監督の『東京オリンピック』1965年(昭和40年)が放送された。 本来であれば、東京五輪開催中である。 新型コロナの影響で1年延期になったが、中止になる可能性もかなり高いだろう。 東京五輪が昭和39年、この映画の公開は翌年の昭和40年、当時の興行記録を超えたとあるが、2時間50分の超大作である。 この映画は前にも見たことがあったが、開会式の様子からいくつか発見があった。 台湾の存在である。 1964年当時、中華人民共和国はIOCを脱退中で、台湾

      • 8m40は戦後5人目 陸上競技のなかなか破ることのできなかった日本記録

        戦前の日本陸上界に南部忠平さんという大選手がいた。 札幌の円山競技場で毎年行われている南部忠平記念陸上競技大会は、南部さん(以下敬称略)の出身である札幌市で、彼の業績を記念したものだ。 南部は、1932年のロサンゼルス五輪の三段跳びで金メダルを獲ったことは広く知られている、が、同じ五輪の走り幅跳びでも銅メダル(7m45)を獲った。 この前の年(1931年)10月27日、後に国立競技場が建つ地にあった神宮競技場で行われた競技会で、世界新記録となる7m98を跳んでいた。 ちなみに

        • 金メダルを12年ぶりに獲ったウルリケ・マイファルトと16年ぶりに獲ったアンソニー・アービン

          ウルリケ・マイファルト(西ドイツ=当時)は陸上史に残る選手である。 (Ulrike Nasse-Meyfarth 英語であれば メイファース と読むのだろうが、日本では昔から マイファルト と読んでいる。) というのも16歳と28歳で、オリンピックの同一種目に金メダルを獲ったからだ。 1968年のメキシコオリンピック、走り高跳びはアメリカのフォスベリーによって新しい時代を迎えた。 現在では、誰しもが跳ぶ背面跳びを最初に始めたのがフォスベリーである。 とはいうものの、4年後の

          14歳の少女を17歳と偽った中国女子体操

          2000年のシドニー五輪体操団体で、銅メダルを獲った中国女子チームのメンバーに董芳霄という選手がいた。 FIG(国際体操連盟)及びIOCに対し、1983年1月20日生まれの17歳と登録して同五輪に出場したが、過去に出場したほかの競技会で公表していた生年月日と異なり、年齢を詐称しているのではないかと騒がれていた。 FIGは1997年にルール改正をした際に、国際競技会に出場できる最小年齢を16歳に引き上げた。 これは、女子においてあまりに幼い少女のような選手がアクロバティックな演

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          デーブ・スペクター「多くの競技で定期的に世界選手権がある。五輪にしかないものがあるか?」 →競技団体にとってはIOCからの分配金がなければ生き残れない

          朝日新聞5月13日付で、デーブ・スペクター氏がこんなことを言っている。 「五輪の時にしか注目を浴びない競技があるなど、開催には一定の意義はあるかもしれませんが、もう規模を縮小すべきではないでしょうか。近代五輪が始まったころと異なり、多くの競技で定期的に世界選手権があります。五輪にしかないものってありますか?」https://digital.asahi.com/articles/DA3S14473756.html?iref=pc_ss_date デーブ氏は日米のテレビ事情に

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          モハメド・アリとその時代に見る、人種差別とオリンピック

          オリンピックの開会式は、スポーツを通じて平和などの理想を訴える唯一の場所であり、大会ごとに開催国からは全世界に向けたメッセージが発信されている。 例えば1964年の東京大会では、原爆が投下された1945年8月6日に広島で生まれた坂井義則さんが最終聖火ランナーを務め、「戦禍から立ち上がり、平和国日本を象徴する若い力」を世界に披露した。 2000年のシドニー大会では、オーストラリアのアボリジニの現役女子陸上選手、キャシー・フリーマンが聖火台に点火している。 そして、1996年のア

          モハメド・アリとその時代に見る、人種差別とオリンピック

          戦後唯一 オリンピックを返上したまち デンバー

          オーストリアのインスプルックは、1964年と1976年に冬季オリンピックを開催したまちである。 これだけの短期間に2回オリンピックを開催したまちはない。 なぜこのようなことができたのだろうか ▲1964年と1976年の2回のインスブルック冬季オリンピックの大会エンブレム、ほとんどいっしょだ。 当初1976年の冬季オリンビック開催地に決定していたのは、アメリカ コロラド州のデンバーであった。 コロラド州はアメリカ独立から100年後の1876年に誕生した州で、州誕生100年目

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          オリンピックのバスケットボールを振り返る アメリカのライバルはリトアニアかスペインか?

          東京五輪の注目の競技に男子のバスケットボールがある。 何と言っても、日本男子は1976年のモントリオール五輪以来の五輪出場である。 1964年の東京五輪当時、五輪で行われていた球技は、男子のバスケットボール、男子のホッケー、男子の水球、男子のサッカーと当初は、東京大会のみの実施ということで行われた男女のバレーボールのみだ。 バスケットボールは、16か国が参加し代々木第二競技場で行われた。 日本はカナダ、ハンガリー、イタリア、フィンランドに勝利し10位に入った。 代々木第二の

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          19歳で白血病を発症、27歳で五輪競泳金メダリストになった男のはなし

          マーテン・ファンデルバイデンは、2008年のオランダのスポーツマンオブザイヤーに選ばれた。 それは、2008年に開催された北京五輪のOWS(オープンウォータースイミング)で金メダルを獲得した最初の選手になっただけでなく、急性白血病に打ち勝ったひとりの人間であったからだ。 ▲表彰台の真ん中にいるのが白血病発症発症から8年目のマーテン・ファンデルバイデン 2mを超える長身。大男ぞろいのオランダでもなかなか2mの競泳選手ははいない。 この時期、世界の自由形の短距離の中心にいたピ

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          日本と韓国 両国の代表としてオリンピックに参加した選手

          戦争責任のため日本が参加できなかった1948年ロンドン大会では、 女子陸上短距離のフランシーナ・ブランカース・クン(クン夫人・オランダ)がスターになった。 女子陸上の100m、200m、80m障害、400mリレーに優勝、一大会で四つの金メダルをとったのは女子陸上ではクン夫人だけだ。 このとき30歳だが、実は1936年のベルリン五輪に18歳で400mリレーと走り高跳びに出場している。 ご存知のように五輪は、1940年(東京→ヘルシンキ)、44年(ロンドン)と2大会が第二次

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          ジャネット・エバンス 代々木オリンピックプール最後の世界記録

          1964年の東京五輪のために建設され、2020年の東京五輪でも競技会場となる施設がいくつかある。 代々木競技場、日本武道館、東京体育館などがそうだ。 代々木競技場は、国立代々木競技場が正式な名称で、第一体育館と第二体育館からなる。 第一体育館は代々木体育館あるいは、代々木第一と呼ばれることが多い。が、かつてはオリンピックプールと呼ばれていた。 というのも1964年の東京五輪時は、水泳競技(競泳・飛込み)の会場だったのだ。 当時から、プールだけでなく体育館しても使えるように

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          飛び込みの神様の告白

          かつて飛び込み界に「神」と呼ばれるアメリカの選手がいた。 グレッグ・ルガニスだ。 サモア人とスウェーデン人を両親に生まれるが、小さい時に養子に出された。 小さい頃の環境は劣悪で級友のいじめにあい、8歳で喫煙、13歳で麻薬に手を染めるなど、すさんだ生活を送っていた。 そんな彼が、誰にも負けなかったのが飛込みだった。 水泳競技には、競泳、水球、シンクロのほかに飛込みがある。 飛び込みは飛び板飛び込みと、高飛び込み競技の2種類があり、1人の競技と、2人一組で飛び込むシンクロナイズ

          飛び込みの神様の告白

          アジア初のオリンピック・東京大会

          56年前の1964年、束京オリンピックが開催された。 「世界中の秋晴れを、全部東京に持って来てしまったような、素晴らしい秋日和でございます」 NHKの北出 清五郎アナウンサーの名文句に始まる開会式は、オリンピック史上初めて人工衛星を通じ、全米、カナダに同時中継された。 「東京オリンピックをテレビで」を合言葉に、テレビが爆発的に普及。NHKの受信料契約数は1960年の686万から、1965年には1822万件にまで跳ね上がっている。茶の間でスポーツを楽しむ時代はここから始まったの

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          コンパクト五輪? 東京五輪は10競技で会場変更された

          2021年に行われるの東京五輪のバレーボール会場は、有明アリーナ。 収容人数は15000人(仮設席を含む) 延床面積は45,600m² 竣工は2019年12月 総工費は339億円となる。 前回1964年の東京五輪と言えば、東洋の魔女の金メダルに全国が沸いたことよく知られている。 では会場はどこだったか? 駒沢オリンピック公園総合運動場体育館と横浜文化体育館である。 当時の駒沢の収容人数は3900人、横浜文化は3800人。 56年前と比較すると、有明アリーナの15000人

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          前代未聞! 東京五輪のバスケット決勝は午前中試合開始

          五輪運営の鍵を握っているのは、米国のテレビ放映権料だ。 NBCテレビは開催地の決まっていない2032年までの五輪放映権を獲得しており、一大会あたり約1400億円。 そして、日本人のように夜通しで生中継のテレビかじりついて五輪を観るなんてことを米国人はしない。 就寝前にベッドで五輪を見る。これがベストだと思っている。 独占放映権を持つテレビ局は、米国時間の夜まで競技結果を放映せず、夜に録画を流す。 ネットのある生活をしていて、競技結果を夜まで知らないでいられようがない。 すると

          前代未聞! 東京五輪のバスケット決勝は午前中試合開始