日本国憲法コメンタール(上諭)案
滝川沙希です。今回は、「上諭(じょうゆ)」です。明治憲法下では天皇が法律などを認可し公布するときに示した公布文をつけることがありました。
著名な八月革命説はここで学習してきましょう。
八月革命説というのは、明治憲法が欽定憲法(主権者である天皇が制定した憲法)であったこと、日本国憲法が国民主権の憲法であることを矛盾なく説明しようとした学説で、一貫して通説の地位を占めています。主権者が変わっていることは、重大事なわけです。
憲法改正(96条)における憲法改正の限界論とも密接に関係します。
ポイントは、どうして八月革命説という学説が必要だったのかを理解することです。
上諭(じょうゆ)
朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
御名 御璽
昭和21年11月3日
内閣総理大臣兼外務大臣 吉田 茂
国務大臣 男爵 幣原 喜重郎
司法大臣 木村 篤太郎
内務大臣 大村 清一
文部大臣 田中 耕太郎
農林大臣 和田 博雄
国務大臣 斎藤 隆夫
逓信大臣 一松 定吉
商工大臣 星島 二郎
厚生大臣 河合 良成
国務大臣 植原 悦二郎
運輸大臣 平塚 常次郎
大蔵大臣 石橋 湛山
国務大臣 金森 徳次郎
国務大臣 膳 桂之助
「御名 御璽」以下はフォントの大きさをそのままにしています。あえて省略はしませんでしたが。
1 上諭の何が問題か
ざっと読みますと、「朕は・・・改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」とありますので、明治憲法下の天皇が、憲法を改正したのだな、と読めます。
しかし、注意深く読みますと、「日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まる(国民主権の憲法ですね)」と国民の総意に基づいて憲法が制定されたかのようにみえます(1条とともに国民主権の根拠条文として位置づけられています)。
何が矛盾かって、主権者が変更されるほどの大きな改正が許されるのか。それはもう「改正」ではなくて、「全く新しい制定」じゃないのかということなんです。
別に問題じゃないと考える方(立派な見解です)もいるでしょうが、学者間では法理論的に可能かどうか、争われていたんです。
なお、改正に限界があるかということと、明治憲法と日本国憲法に法的連続性があるかということは、パラレルに論じられています(多くの説では一致しています。「限界なし→連続性あり→有効」(逆は逆))。
さて、改正の限界を越えたら「制定」になってしまうということですが、学説を整理すると次の通りです。他にもいくらでも細かくできますが、これくらいで。学説が出題されます。
1)A説 明治憲法と日本国憲法との間に法的連続性がない(改正限界説と親和的)
A1説(八月革命説) 日本国憲法は有効。ポツダム宣言受諾は国民主権の要求を含み、それは明治憲法では受諾不可能だったのに受諾した。それは一種の革命があったとみるほかない。革命によって主権者となった国民が制定したのが日本国憲法であり、有効である。
A2説 日本国憲法は無効。明治憲法の改正の限界を越えている。
2)B説 明治憲法と日本国憲法との間に法的連続性がある(改正無限界説と親和的)
B説 日本国憲法は無効。押しつけ憲法である。
B1説 日本国憲法は有効。ポ宣言は国民主権を強要する趣旨ではかった。日本の政治形態は、天皇を含む日本人で決定できた。日本国憲法は、明治憲法の手続きで成立したので法的連続性があり、欽定憲法である。
A1説が通説ですが、「明治憲法と日本国憲法との間に法的連続性はない。しかし、革命が起きたので日本国憲法は有効。」ということです。
※革命とは、フランス革命のようなものを想定しないでください。法的な革命(主権者の交代)があったというだけの話です。
※この説明はかなり苦しいものですが、学者の間では、受け入れられています。
2 上諭は憲法改正の対象か
改正の対象ではありません。上諭は日本国憲法の一部ではないのです。
法規範性も裁判規範性もありません。
他方、日本国憲法の前文には、法的規範性が認められます。裁判規範性はありませんが。
(以上)