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第4章 日本橋川周辺の景観の共通性と独自性

第1節 景観の共通性と独自性

 第2章・第3章では、日本橋川周辺の景観の歴史的背景をみてきた。これらにより、現在ある景観は歴史的重層性の上に成り立っていることがわかった。そこで、本章では、時間軸ではなく地域の拡がりを軸として景観を分析する。この分析は、景観の共通性と独自性を視点とする。

 それでは、景観の共通性と独自性とはどのようなものなのか。辞書によると「共通」とは、「一つの事柄が二つ以上のもののどれにもあてはまること」とある*23)。つまり、景観の共通性とは一つの景観のある一部分が、他の景観のある部分と同じであること、その同じ部分の正確のことを指す。これには、景観のある地理的・歴史的背景も含まれる。では、「独自」とはどうであるか。同じく辞書によると「他とはことなり、それだけに特有である様子」とある*24)。これは、景観の持つオリジナリティのことである。

 本研究の研究対象地域である日本橋川周辺について考えてみると、全区間にわたり共通性を有している景観としては、橋詰の景観である。江戸時代の頃から橋詰には火除地などの広場が存在した。その広場は、庶民が楽しむための空間として利用されてきた。そして、関東大震災の復興において、橋詰の空間は都市の美観上、重要視されていた。楽しむための空間から、美観保全のための空間へと、橋詰広場は変化してきた。この空間は、都市における人と川との交差点として大きな意味を持っていた。そこで、本章では橋詰の景観からその共通性・独自性を分析することにより、地域の性格をあきらかにしていく。

第2節 景観の共通性・独自性からみた橋詰空間

1)橋詰空間(広場)の現在

 第3章で述べたとおり、日本橋川に架かる橋のほとんど(23橋中20橋)に、橋詰空間(広場)が設けられ、これらは緑水ネットワークの一部を担っていた(図3-5)。

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図3-5 日本橋川周辺の緑水ネットワーク(再掲)

 また、帝都復興計画により、橋詰に設置する施設の明文化がなされたことは、既に述べた。その「橋詰の三大施設」と言われた公衆便所・交番・消火器具納庫は、人通りの多い橋に設置されていた。橋詰空間は町の中の多目的スペースとして利用され、川と橋の存在をその周辺地域にアピールしていた。

 こうした歴史的背景のある橋詰空間だが、1993年現在の姿からはどのようなことがわかるのか。その現状を分析してみた(表4-1)。まず、橋詰空間にある広場(橋詰広場)は、広場としての機能を失っているが、そのスペースの多くが残存していた。当初、橋詰広場は20橋38ヶ所に設けられていた。調査をおこなった1993年10月の段階では、橋詰空間に緑地・広場(小スペース)が存在したのが20橋28.5ヶ所(工事中:茅場橋)であった*25)。橋詰空間は植え込みとして利用されることが多く、橋詰空間の約半分(15ヶ所)が植え込みとなっている(表4-1)。植栽された橋詰空間は、「橋を美しく飾る演出効果をねらって」*26)震災復興期に設けられた橋詰広場の残象であり、憩いのスペースではなかった。

表4-1 橋詰空間の利用形態

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 こうした空間も、首都高速道路の高架下ではその意味が半減してしまった。美観の演出ではなく、かえって美観を破壊しているようにも見える。人の手が入っていない植栽の少なさは、橋詰空間の存在の希薄さを印象づけている。これは、橋詰空間に設けられた小公園(児童遊園)にもいえており、暗く薄汚い公園が残念ながらみられる。

 次に多いのは、小スペースが橋詰に設けられているケースである。これはそのスペースに記念碑やトイレなどを設けたり、憩いのスペースになったりしていることが多い。また、何も使用されていない場合もあった。その橋の歴史や様式などの書かれた碑が設置されている場合、その橋の存在を地域にアピールすることに役立っていた。

 こうした役割をさらに発展させたものが、日本橋や西河岸橋の橋詰空間にある「広場」である。とくに日本橋川橋詰広場には、それぞれ名前がつけられており、同橋の歴史から役割までが橋詰を訪れるだけで分かるようになっている。またベンチなどが設置され、憩いの空間としても機能している。日本橋ほどではないが、日本橋より下流に架かる橋には、こうしが橋詰空間が整備されつつある。日本橋をはじめ、豊海橋・港橋・西河岸橋のほか、リフレッシュ工事中の茅場橋にも、このような広場が設けられるはずである。日本橋川下流では、川と橋の再認識がこのような形で進んでいる。

 一方、首都高速道路のランプ(出入口)や公共施設用地などに橋詰空間が利用されている場合もある。首都高速道路ランプは、美観上から植栽とセットで設けられることがあるが、一石橋の呉服橋ランプや掘留橋の西神田ランプのように、出入口をカモフラージュするもののないランプもある。また、区役所土木部などの資材置き場に利用されている場合もあり、無粋なフェンスで囲まれたりしている。

 人の手があまり入っていない小スペースや公園・橋が多いのは、中〜上流部である。この要因は川と地域との関わり合いや区の方針があらわれているのではないかと考えられる。

2)橋詰周辺の現在

 橋詰周辺に存在する建物やその中に入っている業種からは、その周辺地域の特徴をとらえることができる(図4-1)。

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図4-1 橋詰空間の分類(筆者作成)

 鎧橋周辺では、南詰にある東京証券取引所を核とした兜町証券街がある。この証券街は、鎧橋北詰や茅場町までその範囲となっていることがわかる。また、新常盤橋から日本橋にかけては、金融・保険などの業種が集まっている。さらにここには百貨店が3店舗立地している。これらから、日本橋川下流部では、川が境界となって町の性格が異なるのではなく、川を囲んで町が成り立っているといえよう。

 一方、新常盤橋から俎橋の中流部では、江戸城外濠の名残なのか、川を境にして別々の町が形成されている。日本橋川右岸にみられるのは、新聞社や経済団体の本部、官庁街といった業務・中枢機能であるのに対し、左岸はカーディーラーや区営住宅、雑居ビルなど商業住宅混在地区となっている。

 さらに、俎橋より上流部では、明治に入り復活した区間であるためか、中流部ほどの日本橋川による両岸の隔絶性はない。しかし、下流部ほどの川と地域との密接さも感じられない。この地区には、印刷・出版関係の業種が、川の両岸に立地している。 

注および参考文献

*23)金田一春彦・池田弥三郎編『学研国語大辞典』より
*24)前掲23)参照。
*25)橋詰広場の数え方は、橋の片側の広場を1ヶ所と数えた。橋の遼河に橋詰広場がある場合は2ヶ所となる。橋の片側の上流側もしくは下流側にのみ広場がある場合は1/2ヶ所と数えた。
*26)前掲15参照。

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