ミス・ブランチ
新日曜美術館が倉俣史朗の特集だった。中学生の頃から長らく歯列矯正で通い続けていた歯医者さんにオバQと呼ばれる照明が置かれていたこともあり、昔から好き、というか憧れを抱いているデザイナー。どの作品も素晴らしいものばかりだが、その中でも、ミス・ブランチは誰が見ても傑作、世界のデザイン史に永遠に残り続ける名作と思っていたが、発表当時、日本では賛否もなく、大した反応もなかったそうだ。不安になった倉俣はすぐにパリで展示会を開き、激賞されたという。
商業デザインが主戦場だった倉俣史朗の作品は、家具などを除き、ほとんど現存していない。91年に亡くなったとはいえ、これほど伝説的なデザイナーの空間が一つしか現存しないなんて、あまりに切ない。だが、70年代・80年代と、時代を席巻したころの倉俣史朗にとっては、生み出した作品が刹那的に消えゆくことに疑問はなかったようだった。
だが、ミス・ブランチは一瞬の美しさを「永遠」に閉じ込めたような作品。
56歳の若さでこの世を去った倉俣史朗には、50を過ぎてから授かった娘がいた。生まれつき障害を持っていたその娘、晴子ちゃんを倉俣は溺愛していたという。あるとき、友人からその晴子ちゃんに造花のバラがプレゼントされた。そのバラがミス・ブランチのデザインにつながる。
花というような直接的・具体的なモチーフをこれまで使うことがなかった倉俣が、透明なアクリルのなかにバラを散りばめ、閉じ込め、永遠を表現した。所員が試作をしていると、倉俣は造花でいいなと言ったという。造花のがいいんだ、と。一瞬の美しさを永遠に閉じ込めるというコンセプトからすると、生花にしたくなりそうなものなのに、なぜ造花のがいいのか。
一つはデザイン的な美しさ。生花だとやはり完全なきれいさは作れない。製作上、造花のほうが取り扱いもしやすいだろう。
もう一つは、そして真意は、晴子ちゃんにあるのではないか。親になると誰もが思う。日々成長する愛しい我が子、ましてや障害を持ち、体の弱かった晴子ちゃんとの一日一日があまりに大切で、愛しい時間がこのまま永遠に続いてほしいと。バラの造花は、晴子ちゃんの生命や、晴子ちゃんとの時間を表現したのではないだろうか。
ミス・ブランチの名前は、当時倉俣が読んでいた「欲望という名の電車」から由来するらしく、番組では倉俣自身がブランチと自分を重ね合わせていたと解説があったが、ミスというところも、なんとなく女性を感じさせる。
番組では晴子ちゃんがミス・ブランチの上に座った写真も映っていた。父が亡くなったあとも、パパのバラの椅子と晴子ちゃんは呼んでいたという。このデザインの分かりやすさも、娘ができて、その娘に向けたメッセージだったのかもしれない。
もう少しお金持ちになったら、倉俣史朗の何かを買って、家に置いておきたいな。と改めて思ったので、それを忘れないためにも、書き留めておく。
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