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その路地の奥には

京都市内の路地を巡る。袋路が多いと聞いていたが、たしかにそう。大阪の路地とも少し違う。町家の脇または中からアプローチし、幅は1メートルくらいのものも。そして、路地の奥には、小さな長屋や戸建や工場みたいなものもあるが、長く迷宮的に続くというよりは、ひょろっとして突然行き止まる。

学生時代、大阪の空堀の路地の奥に住んでいたが、思えばそれも袋路だった。長屋ではなく、2階建ての小さな家が路地の一番奥にあり、1階が大家のおばあちゃん、2階が我が家だった。家賃は当時で六万円弱くらいだったと思う。
粗末な家は、壁も薄く、向かいの阪神ファンのおじさんの声で大体阪神が勝ってるか分かったし、そのおじさんが時々木刀を路地で素振りしていたが、家の中に入ってきたのかと何度も勘違いした。
路地のちょうど中ほどに地蔵尊があり、地蔵盆の日には自転車が出せなくなった。ある日、地蔵盆の日に酔っ払った女性に声をかけられたが、その路地にあった工場が実家の有名な女性芸人だった。
バルコニーに置いていた洗濯機が壊れて、大家のおばあちゃんの家が水浸しになったこともある。
長年付き合った当時の彼女と初めて一緒に暮らし始めたのもその家だった。
路地にはそんな思い出がつまっていた。まだまだ学生ならではの万能感と無力感をふんだんに湛えていて、畳の上で青臭い暮らしをしていた。

京都の路地は、市役所からも保存すべきとか再生すべきとかレッテルを貼られていて、ほんの少しは建て替わって路地ごとなくなっていたが、ほとんどは時計を止めたみたいに取り残されていた。
奥の家は半分くらいが空き家。空堀での僕らの暮らしのようなものはみられず、多くはひっそりと息を殺して「棲んで」いるみたいだった。ちっとも麗しくない民泊になっているものも少なくなかった。

路地って言っても、こんだけ狭いから、奥が空いても潰すことすら難儀なんや。こっちの奥は、見たこともない中国人が買って、雨漏りしてても放ったらかし。かなわんで。
とたまたまエンカウントしたおじいさんが話してくれた。誇れるものばかりではないらしい。
さて、どうしようか。

新しい仕事が始まる。


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